1.物語ノ壌
2 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:02:03.66 ID:pyRuUu9v0
1.物語ノ壌


蒸した夏の事件である。

(,,゚Д゚)「殺してほしい女がいる」

( ^ω^)「は?」

(,,゚Д゚)「貴殿に殺してほしい女がいる」

内藤は大層驚いた。

(;^ω^)「今、何と――」

焦点の碌に定まらぬ目のままギコを見返した。
ギコの顔に表情はない。
しかし奇妙なことに、微動だにせぬ無表情から唯一発されている情念を、内藤はひしと感じ取れていた。

憎悪である。

(,,゚Д゚)「だから、貴殿に殺してもらいたい女がいると言ったのだ」

4 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:03:50.69 ID:pyRuUu9v0
あまりにも唐突なので内藤は動揺を隠せなかった。
なにしろギコが内藤の屋敷を訪れてから、時間にしてまだ小半刻にも、そのまた四分の一にも達していない。

それで、これである。

内藤はひどく困った。額の辺りに汗が浮いた。

(;^ω^)(急に来て人を殺せだと? しかも初対面で?
      冗談ぶっこいてんじゃないお……。頭いかれてんのかお)

そもそも初顔の客が来ること自体内藤家にとっては稀なのである。

内藤は町内を練り歩く薬売りである。

母は早くに死に、父は内藤が初冠を迎える前に病で亡くなったから、この小さな平屋には内藤一人しか住んでいない。
その屋敷の立地もここ備富町の中心からは少々ずれている。
だから内藤の家には時偶知人が訪ねてくることがあるだけで、見知らぬ人間が立ち寄ることなど殆どない。

そこに――。

(,,゚Д゚)「御免」

突如現れた来客がギコであった。

6 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:06:32.14 ID:pyRuUu9v0
内藤が遅い昼寝でもしようかと企んでいたところに戸を叩く音があり、開けると着流し姿の青年が立っていた。
帯刀している。武士である。

(,,゚Д゚)「やつがれはギコという者。見ての通りのしがない浪人で、武者修行のために全国行脚の旅をしている。
    ……と言えば聞こえはいいが、実態は地を代え宿を代え当てもなく放浪しているというのが正しいな。
    実は先日、内藤殿がこの土地で暮らしていると聞いたものでして。
    いやしかし今日は殊更に暑いですな。着物が汗で張りついてすこぶる気持ちが悪い」

若侍は木戸が開くなり、主人の内藤に構わずべらべらと長広舌を振るった。
身勝手に話しているだけだが意外にも耳触りはそれほど悪くない。言葉に馴染みがある。

(,,゚Д゚)「こちらに参る道中でも、芥子頭の童どもが涼をとるために川辺で戯れておりましたわ。
    あの髪なら安全です。
    万が一溺れても、頂に残った髪の毛を掴んで、こう、ぐいっと引っ張れば、楽に助けられましょうから。
    それにしても、本当に暑い――」

五倍子染めの着流しの襟口から汗ばんだ浅黒い肌が覗いた。

( ^ω^)(喋りまくってる割に内容なさすぎだお)

適当に相槌を打っていた内藤であったが、どうにも本題を隠しているように聞こえてならない。
焦れた内藤は水を差す。

( ^ω^)「あの……何か僕に御用ですかお?」

8 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:08:59.05 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「うむ――そうなのだ」

ギコの口調がふと鋭くなった。

(,,゚Д゚)「そのためにこのお屋敷に伺わせていただいた。
    初顔で恐縮だが、ちょいと折り入って貴殿に相談したいことがある――それも内密にだ。
    頼めるか」

( ^ω^)「相談? この僕に?」

初めは「はて」と訝しんだが、虚を衝いて斬りかかるわけでもなく、危害を加えそうな気配もなかったので
内藤はとりわけ不審に思わず素直にギコを屋内に受け入れた。
第一強盗目的ならば夜半寝静まった頃に襲うだろう。

( ^ω^)(なんとまぁ、珍しいこともあるもんだお)

内藤という人間は根が愚直なまでに純である。元来人を疑うことを知らない。

( ^ω^)「こんなところで立ち話もなんですから、どうぞどうぞ」

履物を脱いで床上に上がるよう誘ったが、ギコはその呼びかけを拒み、
仁王立ちのまま玄関をくぐってすぐの土間で話を始めた。
ただひとつだけ、「窓を閉めてほしい」という要望があったので、内藤は特に気にも留めず従った。

9 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:10:54.56 ID:pyRuUu9v0



そこで切り出された件が先の、

「殺してほしい女がいる」

である。


 

10 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:12:52.19 ID:pyRuUu9v0
(;^ω^)「えぇつまり、ギコさんは僕に、僕が……僕の手で、とある女性を殺せと、そういうことなのかお」

(,,゚Д゚)「そうだ。貴殿にしか頼めぬことなのだ。
    無論謝礼は弾む。条件は出来得る限り飲む。ただ、要求本体だけは譲歩するつもりはない」

このギコという男は黙していれば天下に比する者なしと称えたくなるほどの甚く整った形貌をしているが、
その腹底に抱えているモノは得体が知れぬ。
大きく見開かれた双眸も内藤の目ではなく心の裡を覗いているのかも分からぬ。

暑い。風が吹かない。

内藤は未だ狼狽している。

( ^ω^)「――けど僕は見ての通りの、しがない一男子に過ぎないお。
      戸口の籠を見たお? 僕は亡き父の後を継いで歩きの薬売りをやってる行商人なんだお。
      そんな奴に殺しの依頼なんかしてどうするお?
      だから……そんな恐ろしいことはとてもじゃないができないお。物騒な」

(,,゚Д゚)「嘘を言うでない! 知っておるぞ内藤。
    今でこそ呑気で無害な町民面をしているが、貴殿も武士の端くれであることを!」

(;^ω^)「ぬ……」

内藤は唾を呑んだ。
やけに粘ついていて嚥下しきるのに労を要した。

11 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:14:59.30 ID:pyRuUu9v0
確かに、内藤は武士の家に生まれた。それもただ一人の子だ。腐っても士の血を引いている。
しかし内藤は町の誰にも身分を明かしたことがない。
いやそもそも、生まれてこのかた腰に刀を差したこともない。

内藤は――内藤家は、とうの昔に武士として生きることを放棄していた。

五歳の冬、内藤の父シャキンは最愛の妻の死を契機に柔束藩を抜け、遠い備富の地に身を移した。
幼き息子を連れての討手からの逃避行は困難を極めた。

「臣下の分際で主を捨てるか!」

「追えや、追え追え!」

眠れぬ日々が続いた。

走る走る。また走る。
気づかれぬよう夜走る。
裏をかいて昼走る。
塒をとっかえひっかえしては、目的の場所へひた走る。

備富町に辿り着いた頃には血生臭い争いごとに嫌気がさしていた。

だから――主君を持たぬどころか、武士という身分も捨て、一人の町民として根差すことを選んだ。
一人息子に剣術を教えもしなかった。そんなものは新しい生活に必要なかった。

12 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:18:01.99 ID:pyRuUu9v0
だがなぜ、ギコは内藤の正体をこの場に来る以前に明かしていたのか。
自ら告げぬ限り知れることのない秘密である。

あるいは――藩に仕えていた当時の父を知っていたかだ。

(;^ω^)(んん……でも父ちゃんと親交があったようには見えないお……僕とそう歳が変わらなく見えるお)

ギコは若い。どれだけ多く見積もっても三十路は超えていないだろう。
内藤は数週間前に二十歳を迎えたばかりだから、それよりも少し上か、精々その程度と推し測られる。

戸も窓も閉め切っているから、屋敷の中はひどく暑い。
湿気が充満している。意識が朦々とする。

( ^ω^)(いやいや、じゃあ……ということは……僕の家柄を知っているということは……)

ギコは父を直接は知らない。ならば――。

( ^ω^)「あなたも――あなたの父も、僕の父と同じ柔束藩士だったのかお」

(,,゚Д゚)「そうとも。貴殿と同様脱藩徒士の末裔、いや、亡霊よ」

依然精悍な面構えでギコは頷いた。

13 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:19:26.98 ID:pyRuUu9v0
聞けば、ギコの父は嘗て御目見の格を持っていた上士だったそうである。

(,,゚Д゚)「だがそれも昔の話。
    とある時期に、古参家臣と新参家臣間の抗争――まあいわゆる御家騒動だな、
    こいつに父が巻き込まれてしまって、賞罰により徒士衆の一人にまで位を落とされた」

内藤はその逸話は初耳だったから、おそらくは自分たち親子が藩の領土を離れてからの出来事なのだろう。

(,,゚Д゚)「俺の父は……何もしなかった。どこにも落ち度はなかった」

自尊心は大いに傷つけられたらしい。

(,,゚Д゚)「横暴に愛想が尽き、ついに父は俺たちを連れて逃げた。
    逃げに逃げた。
    道程は過酷を極めたよ。脱藩道中、赤子だった弟は栄養不良による低体温症で息絶えた」

ギコはそう静かに語った。

(,,゚Д゚)「分かるだろう、貴殿も。俺の気持ちが。俺の父の想いが」

内藤は、なんとなく分かるような気がした。
実際に声に出して言っていることの意味よりも、言わんとしていることの意図がやけに生々しく伝わった。

15 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:22:07.72 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「父は主を変えて一から出直した。
    しかし……余所者を無闇に重用する藩主などおろうか。否おるまいて。
    案の定その日その日の食い扶持にも窮する貧乏生活を余儀なくされたわ」

家族一同覚悟はしていたそうだ。
とはいえ現実は厳しい。

(,,゚Д゚)「十三の時に奉公に出された。遅い丁稚だ」

なんでも、隣国の湊町にある乾物店で働いていたらしい。

(,,゚Д゚)「だがそれも精々三、四年ほどのこと。刀を買うだけの銭が貯まったら、俺はとっとと脱走した。
    うんや、給与は住み込みの丁稚小僧だったから当然なかったんだが、
    少しずつ店の売上をくすねさせてもらったのだ。最初から出ていくつもりだったからな。
    爾来貴賎を論じぬ剣客商売に身を任せる、気ままな浮浪人生活よ」

からからと笑う。内藤は少し羨ましくなる。
類似した境遇に置かれていたのに、今現在に至るまでの道筋はまるで違う。
何よりギコは武士としての性分を捨ててはおらぬ。
自分は剣術のいろはも知らない。

(,,゚Д゚)「貴殿は――内藤は完全に武士をやめてしまったのか」

薄黒い衣を纏った若侍は太刀の鍔を弄いながら呟いた。

16 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:24:17.43 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)「え?」

(,,゚Д゚)「見たところ、立派な一軒家を構えているのに武家奉公人も雇っていない。
    武士ならば本来、最低でも世話役の下男ぐらい抱えるはずだ。
    最早内藤の家柄はすっかり武士ではなくなったのか? それとも雇えぬほど貧しいからか?」

(;^ω^)「まあ……その両方かな……。一時期は奉公人もいたけど……」

それでは到底やっていけない。

(,,゚Д゚)「――家禄は」

( ^ω^)「なんだお?」

(,,゚Д゚)「家禄はいくらもらっていたのだ、内藤の家は」

ギコは落ち着いた声音で尋ねた。
内藤は答えようとしたが、何分幼き時代の話なので記憶が曖昧である。

( ^ω^)「父の切米の高は覚えていないお。ただ父は下級武士だったから、そう大したことはないかと」

そう答えた。
なにせ武士だった頃の父親の記憶などほぼ残っておらぬ。
内藤の頭にあるのは藩を抜けた後、行商に身を偽り、竹編みの籠を背負って出かけていく父だけである。

17 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:26:36.98 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「そうか。では、脱藩後の父君の稼ぎは如何ほどだったか」

(;^ω^)「いや、自慢にもならないことだけども、そちらのほうも寂しいもんだったお」

暮らしぶりが豊かだったことなど一度たりともない。

(,,゚Д゚)「現在の稼ぎは」

(;^ω^)「それに輪をかけて……」

内藤はなんだか恥ずかしくなった。

(,,゚Д゚)「そうか――」

そこでギコはしばらく押し黙り、少々思い悩むような顔つきをしてから、

(,,゚Д゚)「ならば謝礼はこれだけ出そう」

と指折り数えて言い出した。
内藤は目を丸くした。

(;^ω^)「け……桁は?」

質問する気などなかったはずなのに、俗にも口を滑らせてしまった。

18 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:28:46.01 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「相場を熟知している商人の貴殿に言うまでもなかろう。想像と寸分違いもない桁よ。
    俗世に生きることを捨て修羅道に足を踏み入れた者にゃ、金になる汚れ仕事はいくらでもあるものよ」

ギコは赤褐色の唇の片端だけで笑った。

(;^ω^)「ちょちょっ、そりゃまあ確かに額が魅力的なのは認めるけれど、だからってやると決めたわけじゃないお!
      どんなにもらったとしてもやれることとやれないことがあるお!」

頭を振りつつ内藤は言う。

(,,゚Д゚)「分かっている。誠意とは言葉と、そして態度だ。だから……とにかく話を聞いてほしい」

必死に反論しようとしたが、ギコはあくまで自分の領域に内藤を引きずり込んだまま話を進める。

(,,゚Д゚)「この通りだ」

ギコは深々と頭を下げ、その勢いのまま土に膝と手の平を付き、額を地面にこすりつけた。

(;^ω^)「ちょっ、ちょっ、やめてくれお! 土下座なんてされても困るお!」

内藤は居た堪れない気持ちになる。

( ^ω^)「……やっぱりできないお。人を殺すだなんて、できるはずがないお」

(,,゚Д゚)「貴殿にしか願い出れぬのだ。貴殿も武士の一人だ」

19 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:30:29.08 ID:pyRuUu9v0
(;^ω^)「武士は人斬りとは違うはずだお! 大体なんで僕なんだお!」

(,,゚Д゚)「他に身を寄せる者がおらぬ。それに貴殿が最も目標に接触しやすい人物だと判断したのだ」

切々と言葉を紡ぐギコの瞳を、ついに内藤は直視することができなくなった。
黒い汚れの滲みた天井を見上げるか、土間に敷いた白い砂を見下ろすかで、内藤は多少悩む。

(;^ω^)「うう……」

無茶苦茶だ。この男は常識を著しく欠いている。
初対面で他人に殺人を依頼するなど気が触れているとしか思えない。

しかしながら、この閉鎖された空間では、常識が意味を為していないように内藤には感じられた。

暑い。
熱気が内藤の理性を奪う。

内藤は目を閉じ考えた。

できるのだろうか。自分に。やってよいものなのか。

私利で行う人殺しは、思い尽く限り不義不忠の頂点だ。
そのような凶行が許されるはずもない。
言うまでもなく内藤も十分に理解している。理解していなければならぬ。

20 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:33:21.03 ID:pyRuUu9v0
だがギコは懸命である。
聞き手の内藤も真剣さを目一杯に感じる。

そして互いに共通点がある。
父親は共に脱藩者。命からがら逃亡し、幼少期に辛酸を舐めた経験を持つこと。
同じなのだ、我々は。


少し、揺れ動いた。


(;^ω^)(――って、僕は何を考えてしまってるんだお!?)

危ない。

ここは危ない。

ここは――温度が高すぎる。

(;^ω^)(気が触れてるのは目の前のこいつなのか……それとももう、僕になってしまったのか……)

判断力が鈍っている。
思考の糸がぐちゃぐちゃに絡まっている。
どうにも内藤には、正確な決定を下すことが不可能に思われて仕方がない。

22 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:36:36.66 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)「だけど……僕だって一応内藤家の嫡男、お金で動いて不義を果たすわけには……」

と、内藤がふと漏らした刹那である。

(,,゚Д゚)「そうか! 義か!」

唐突にギコが手を打った。

(,,゚Д゚)「義か、成程、内藤にも武士としての誇りが残っていたか! そうか、そうか」

不思議なくらいに嬉しそうな様子なので、内藤はいささか困惑を覚えた。

戸は完璧に閉まっている。密室である。
けれど室内のほんの僅かな木材の隙間から、蝉の鳴き声が漏れてきて、鼓膜にぴたりと粘着する。
耳元で鳴いているように錯覚する。やかましい。しかし耳を塞ぐことはできない。

一層温度が高くなる。

(,,゚Д゚)「ならば俺が内藤に義を立てよう」

一度息を吸い溜めを作ってから、力強く宣言した。

(,,゚Д゚)「貴殿が憎々しく思っている輩を殺してやる」

23 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:39:50.81 ID:pyRuUu9v0
(;^ω^)「!?」

なんなのだ――この男は。

(,,゚Д゚)「俺が死んでほしいと思っている奴を貴殿が殺し、貴殿が死んでほしいと思ってる人間を俺が殺そう」

嗤っている。

(;^ω^)(どうか……してるお……)

内藤は身震いした。
これは正気の沙汰ではない。狂気の沙汰だ。
逃げ出したくなる。しかし――できない。今この場からは流石に離れられない。

狭い土間に対峙する二人の様は真逆である。
客のギコは勢力を得ている。
対して主人の内藤は、その勢いにぐいと気圧されている。

(,,゚Д゚)「さあ言え言え内藤。貴殿が殺したいほど憎んでいる者の名を。
    いくら穏健そうな貴殿とはいえ、菩薩摩訶薩の類ではないのだから、忌み嫌う人間もいるだろう」

己の中で内藤が名前を挙げることを確信しているかのような、自信に満ちた口ぶりである。

24 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:41:33.03 ID:pyRuUu9v0
(;^ω^)「……」

内藤は閉口したきり動かない。

( ^ω^)(いや……)

いるにはいるのだ。だが――。

(,,゚Д゚)「ふふ、すぐには答えられぬか。
    仕方あるまいな。死ねと思っている相手の名を迂闊に口外などできますまい。
    だがしかし、貴殿にはいるはずなのだ。いや――いるのが必然なのだ」

ギコの目は完膚なきまでに内藤の心を暴いている。

( ^ω^)(やはりそうかお)

そのようにしか考えられぬ。

知っているのだ、この男は。
知っていて自分の元を訪れたのだ。

内藤はようやく合点がいった。白くぼやけていた頭の芯が、すうっと透明になってきた。

25 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:43:03.67 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)「ギコさん、あんた――」

甘言を操る浪人は、不敵に笑む。
内藤は心して待つ。

いや――その必要はない。
なぜならば、自分は、この先ギコが挙げるであろう人物名をとっくに解っているのだ。

当然だ。自分自身が胸に秘めていた問題なのだから。

身構えることはない。
既知である正答を弾き出すために、わざわざ珠算に励んでも意味がないだろう。
自分どうこうではない。
所詮は必然的に起きることだ。

それでもやはり、緊張に身が引き締まる。

ギコの口が開く。
その唇の動きだけでも、内藤は言葉が読み取れるような気がした。

(,,゚Д゚)「時の柔束藩当主、長岡。貴殿はこの男を恨んでおるな?」

その通りだった。

27 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:45:13.81 ID:pyRuUu9v0
(;^ω^)「うぐぐ……」

内藤は頬の内側の肉を強く噛んだ。

(;^ω^)「……まさか、今になってその名を耳にさせられるとは思わなかったお」

全身が焼けるように熱くなるのを覚える。
体温が気温を凌駕する。
蝉の声も最早聴こえぬ。ギコとの会話だけが内藤の頭の中に沈殿する。

( ^ω^)(長岡……僕の家族を無茶気茶にした張本人……)

長岡は若い大名であった。
同時に好色で知られた。気に入った女がいれば見境なしに手を出し妾にした。

そうして長岡に目を付けられた女の一人が内藤の母である。母は大変美しい人だった。

( ゚∀゚)「ほほう、配下の内藤の妻はそんなに別嬪なのか?」

噂を聞きつけた長岡は、手篭めにすべく何度も何度も内藤家に通った。

しかし、既に夫のシャキンがいる。
当然操を立てねばならぬ。
母は長岡が傲岸不遜な態度で勧誘に来るたび頭を下げて、その申し出を拒んだ。

29 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:48:18.92 ID:pyRuUu9v0
長岡は悶々とした。
同時に苛々した。
自分の思い通りにいかぬことが余程堪えたらしい。
早いうちから権力を得ていたが故の病である。

( ゚∀゚)「よう、今日も来たぞ」

ある夕刻、長岡は酒を飲んで現れた。
その日も内藤の母は丁重に断った。が、長岡の様子がどうにも普段と比べ穏やかではない。

(#゚∀゚)「ちょいと美人だからって、この俺様に逆らってんじゃねぇぞ!
    いいか、俺は、俺はな、お前の旦那の主なんだぞ! 分際を判っているのか、お前は!
    ……もういい、もういらん! 手に入らぬなら、いらんッ!」

憤慨して、駄々をこねる。この若造は気性の激しいことでも城下で有名だった。
ちょうど酔いが回っていたのも災いしたかも知れない。

(#゚∀゚)「ぶち壊してやらぁ! こんのクソアマが!」

刀をおもむろに抜き、その白刃を走らせた。
おびただしい量の血を、袈裟に斬られた傷口から噴き出しながら、麗人は叫び声も上げずに絶命した。

30 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:50:55.43 ID:pyRuUu9v0
だがこの事件はあろうことか――事故死として処理された。
幕府から派遣される御目付役の観察と、体面を気にしてのことである。

かくして内藤の母の死は隠匿された。

シャキンは激怒した。
絶望の日々を送り、夜毎長岡への恨みを募らせた。

しかしどうすることもできない。

主君に刃を向けようものならば罰は闕所どころでは済まされぬ。
腹を切らされるのは必至、いや、それならばまだよいが、見せしめに打ち首に処されることも有り得る。
自分だけならまだいい。ただ、子供がいた。そのような事態に陥ってはならない。

とはいえ長岡の憎たらしい面など二度と拝みたくはない。


(`・ω・´)「――こんな奴の元になど、いられるか!」


妻が死んで一月後、シャキンは意を決して、息子を連れて柔束藩から脱走した。
厭になったのだ。

31 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:53:28.80 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)(確かに……部外者には秘密裏のことだったんだろうけど……柔束藩の人間は薄々感づいていたはず。
      ギコの父も、多分、知っていた。だったら聞かされていてもおかしくはないお)

(,,゚Д゚)「俺の掴んだ情報だと、長岡はとうに藩主の座を子息に譲って隠居しているらしい。
    場所は北だ。ここから往路で……大体、夜通し歩けば四日か五日ほどの距離になるな。
    そこに直々に乗り込み貴殿への義を果たそうではないか」

(;^ω^)「ううむ……」

内藤は腕を組んで思い悩む。
生前父が母の無念を語る都度、内藤も行き場のない怒りを覚え、恨み骨髄に達していた。

( ^ω^)(確かに殺してやりたいほど憎いお。本気で憎い。でも――)

その交換条件が殺人。

( ^ω^)「……ちょっと考えさせてくれお」

(,,゚Д゚)「おお、よい返事を待つぞ」

( ^ω^)「期待はしないでほしいお。ことがことだけに」

32 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:55:48.10 ID:pyRuUu9v0
量りにかける。
果たして私怨も何もない無関係の人間を殺してまで、内藤家の怨念を晴らしてよいものか。
けれどこれは好機でもある。積年の恨みを消し去ることは何事にも代えがたい。

(;^ω^)(……ってもこんなやり方じゃ絶対悔いは残るお)

それでも――蟲惑的である。

(;^ω^)(どうすればどうすれば……)

暑さは消えている。
だとすれば、この足先から脳髄まで隈なく駆け巡る熱は、自分から湧き起こっているものか。
自分から――狂おうとしているのか。

しばらく俯いて道徳心と戦った結果、

( ^ω^)「――分かりましたお」

目を戻すと、ギコは居間に飾られた仏壇を眺めていたが、顔を上げた瞬間即座にその視線が内藤へと向いた。
一旦先刻まで脳裏をかすめていたあらゆる思惟を一切合財放り出す。それから呼吸を整え、

( ^ω^)「やります」

そう告げた。

34 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 22:57:52.39 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「おお! 真か!」

ギコは二度三度大きく手を打った。

(,,゚Д゚)「ありがたきことよ」

糸が、切れた。
夏の午後の茹だるような暑さと、それに伴う気だるさが、ようやく内藤の身体に戻ってきた。

(,,゚Д゚)「貴殿の快諾に感謝する」

そう言って、ギコは再び頭を垂れる。内藤はなんだか無性に気恥ずかしくなる。

(,,゚Д゚)「ところで……刀はあるのか」

( ^ω^)「一応、父が残してくれたものが。ただずっと使っていないから多少の手入れは必要だお」

(,,゚Д゚)「うむそうか。それは一安心だ。
    貴殿の様子だと、ややもすれば質に入れてしまっているかも知れぬと案じておった」

(;^ω^)(ぶっちゃけちょっと考えたことはあるけど)

やはり形見は売れない。

36 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:00:44.22 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「もっとも、あの女の殺害に刀など使っていては目立って仕様がないな。
    匕首あたりを用いるのが適当か……いやそれより」

ずいと顔を寄せ、ギコは声量を絞って尋ねる。

(,,゚Д゚)「――内藤よ、本当にやってくれるのだな」

内藤の鼓動が更に大きくなる。
それを察知されぬよう、努めて平静を装い、交差した視線を外さず答える。

( ^ω^)「この期に及んで急に撤回したりはしないお」

(,,゚Д゚)「二言はなしか。
    誠によきことであるが、それは商談における駆け引きの技術か、それとも武士の心構えか」

( ^ω^)「……両方だお」

(,,゚Д゚)「結構!」

ギコは喜ばしげに内藤の肩をぱんと叩いた。

38 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:02:44.89 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)「だけどその前に……あー、一個訊いておきたいことがあるお」

(,,゚Д゚)「なんだ?」

( ^ω^)「どうして――ギコさん自身の手で、その女の人を、ええと、殺してしまわないのかお?」

率直な疑問だった。
刀剣を振り回したことのない自分よりは、ギコのほうが適任に思える。

ギコはひとつ溜息を吐いた。


(,,゚Д゚)「いや、それなのだがな、その女――ツンというのだが」


( ^ω^)「ツン?」


聞き慣れぬ名前である。

39 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:05:19.14 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「これが中々曲者で……比肩する者がおらぬほど警戒心が強いことで評判なのだわ。
    滅多に表に出ないものだから、疑り深い上、自分を他人に曝け出そうともしない、と噂になっておる。
    なので接近するのも、接近してから油断を誘うことも困難極まりないと、推定される」

( ^ω^)「ほほう」

自分とは正反対だな。
内藤は密かにそんなふうに考えた。

(,,゚Д゚)「実を言えば最初は俺の手で殺そうとしたのだが……、
    本当に姿を見せぬのか確かめようと、一度屋敷の前を通りかかった際、ばっちり顔を見られた。
    迂闊だったよ。最早失敗も同義だ。二度と近づくことはできんだろうな」

( ^ω^)「ん? だからってギコさんなら強引にでも捻じ伏せられるんじゃないかお?」

なにせ標的は女なのである。

(,,゚Д゚)「ところがそうはいかぬのだ。もう一個の理由がまた厄介なのだよ。
    ツンは備富町の外れに住処を構えていて、そこに用心棒を雇っているのだが、これがまあ強い。
    こいつが昼夜離れず見張り続けている限り、闇討ちし寝首を掻くことさえ不可能だろう」

神妙な面持ちでギコは語る。

41 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:08:38.39 ID:pyRuUu9v0
(;^ω^)「えっ、ちょっと待って、そんなん聞いてないお?
      用心棒? めっちゃ強い用心棒? 勝てるわきゃねーお? ギコさんも無理なんだお?
      えっ? 勝たなきゃダメなの? は? 僕が? えっ?」

(,,゚Д゚)「そう焦るでない。確かにまともにやりあっては到底敵わん。だからこそ貴殿が適任なのだ」

浪人はどこか愉快そうな微笑を浮かべた。内藤には訳が分からぬ。

(,,゚Д゚)「まあ――細部は後にしよう。今度はそちらが望んでいる殺しの話だ」

しっかと、ギコは内藤の目を見据える。

( ^ω^)「本当に、やってくれるのかお?」

内藤の目にはまだ少し疑念が残っている。

(,,゚Д゚)「無論だ。うんや怪しむ気持ちは分かる。だから、なるべく早く貴殿に俺の義を証明したい。
    二十日――いや十日あれば、長岡の命を散らしてみせようぞ」

( ^ω^)「十日? それじゃ往復の移動だけで大半の時間が消えちゃうお?
      大丈夫なのかお」

(,,゚Д゚)「なに、歩くことには慣れている。
    それに、俺は、今の今まで剣の腕と持ち前の度胸のみで世を駆けてきた身だ。
    十日で此度の使命を遂行するなど造作もないことですわい」

42 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:11:18.64 ID:pyRuUu9v0
ギコはわはっはと大きく笑う。次いで内藤に提言を与える。

(,,゚Д゚)「十日後にまたここに来る。よい報告ができるよう善処するゆえ、それまで待っていてくれ。
    始末してもらいたい女の詳しい情報はその際に話す」

( ^ω^)「ん? なんで今日教えてくれないんだお」

(,,゚Д゚)「些細なこと。俺のいぬ間に内藤が迂闊な手段に出るかも知れぬ……と、そうなることを案じておるのだ。
    こちらから依頼を持ちかけておいて無礼だとは思うが、貴殿をまだ完璧に信じ切れてはいないのだ。
    当方にも前々から思い描いている計画があるのでな」

( ^ω^)「要するに僕が好き勝手行動しちゃうと困るってことかお」

(,,゚Д゚)「ずばりだ。申し訳ない」

約定を交わしたとはいえ、皆まで任せきったわけではないということか。

( ^ω^)(まあ……生まれが似た者同士とはいえ、他人は他人だから仕方ないことだお。
      むしろ正直に言ってもらえたほうが楽っちゃ楽だお)

また夏虫が煩くなる。
いつの間にやら、内藤を覆っていた狂熱はすっかり冷めていた。

43 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:13:31.27 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「さあでは俺は出発しよう。小汚い浪人が長居していては貴殿の面目も立たないことだろう。
    今日はこの辺でお暇させていただく」

そうは言っているが、内藤は然程世間体を気にする性質ではない。
もっとも長居されるのもあまり気分のいいものではないが。

(,,゚Д゚)「旅の支度が済み次第、早速長岡の根城に向かわせてもらうとする」

( ^ω^)「善は急げ、ってやつかお」

(,,゚Д゚)「いやいや何が善なものか。我々は悪行と重々承知していて動かねばならぬのだ。
    たとえ己の正義に基づく行為であっても、我々がこの先為すべき所業は誰にも許されぬことだ。
    御仏も大目に見てくれはしまい。
    特に俺は、今はまだ明かせぬが、仄暗い理由で殺害を頼んでいるのだからな。
    貴殿にはあくまで母の仇という大義名分があるが」

ギコの声は冷静である。

(,,゚Д゚)「だがそれでもやらねばならぬ。怖れるものがあってはならぬ。
    そいつが武士の覚悟というものよ」

収まりよく結んでギコは内藤に背を向けた。
一瞬見せた横顔には、どこか狼を思わせるほどに、畏ろしさと、気高さが同居していた。

44 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:14:53.07 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)(ああ)

――この男は餓えているのだ。
内藤は今になって悟った。

袖下から手を差し入れて脇に触れる。
汗をびっちょりとかいている。
どれほどの時が経過したかも分からない、長い緊張から解き放たれ、どうやら汗腺も弛緩したらしい。

(,,゚Д゚)「内藤よ」

屋敷から退場するに瀕した際、不意に足を止めてギコは内藤を振り返った。

(,,゚Д゚)「武士道を離れておったとはいえ、貴殿もやはり忠義の士であったのだな」

そうしてにやりと笑い、

(,,゚Д゚)「御免」

早足に去っていった。
残された内藤は、ただ、親の手からはぐれた幼子のように、呆然とその場に立ち尽くすのみであった。

蝉が鳴く。蒸し暑い夏の季節はまだまだ終わらない。

46 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:16:53.36 ID:pyRuUu9v0



(,,゚Д゚)「さすがに首は持ち運べなんだ」

( ^ω^)「……」

約束通り、ギコはあの日からちょうど十日後の夜に参上した。

(,,゚Д゚)「大荷物になる。あんな重い物を抱えていては速度も落ちる。
    それに何より怪しまれるとまずい。関所で小うるさい役人に調べられると言い訳もできぬのでな。
    なので歯型と紋所を持って参った」

そう言うとギコは懐から何やら取り出した。

( ^ω^)「これは……」

包みを解くと、封じられていたのは粘土である。くっきりと噛み跡が刻まれている。
そして包んでいた濃緑の布に注目をやると、これは帯である。

47 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:18:46.84 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)「この帯の柄――長岡家の家紋だお」

忘れもせぬ。
父シャキンが柔束藩の膝元から離れると決めた日の晩、
夜叉の形相でこの紋様の入った羽織を燃え盛る火の中に投じていたことを。

五歳の頃のことなど大方覚えてはいないが、その光景だけは生々しく瞼の裏に焼き付いている。

( ^ω^)「……長旅御苦労さんだお」

「うむ疲労困憊しておる。足が痛むので今宵は客間に上がらせてもらったが」

ギコは億劫そうに足の裏を揉む。
そして歯型の付いた粘土を拾い上げ、手の平でころころと弄び、時折宙に放り上げては掴むことを繰り返す。
内藤が淹れた茶は手つかずのままでぬるくなってしまっている。

(,,゚Д゚)「とはいえこれだけで信用してもらえるとは踏んでおらん。
    正確な情報は後に耳に入るだろうから、それまで――」

( ^ω^)「いいや、信じるお」

きっぱりと答えた。

49 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:22:00.45 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)「というか……信じざるを得ないお。
      あれから気になって気になって、ギコさんが発ってから毎日町の情報屋に通い詰めていたんだけど、
      一昨日、つい先日柔束藩の旧藩主が何者かの凶刃によって倒れたと、そう聞かされたお」

(,,゚Д゚)「うん? 一昨日か」

ギコは軽く首を傾げる。

(,,゚Д゚)「もう少し遅くなるかと思っていたが……いやしかし結構結構。話が円滑になるというものよ。
    俺もどうやら飛脚どもの足には勝てなかったようだな。歩きには自信があったのだがなぁ」

( ^ω^)「そりゃ、飛脚は宿場間を交代で走ってるから当然だお。
      世の仕組みは能率よく変わっていくもんだお。それよりも――」

一度言葉を切る。

( ^ω^)「今度は僕がやらなきゃいけない番だお」

無理矢理に次の句を吐き出した。
内藤はこの数日間碌に寝ていない。
不安と焦燥と、恐怖に苛まれ、ふとした瞬間に罪悪感に押しつぶされそうな苦しい日々を送っていた。

それでも仕舞わねばならぬ。
事実、ギコは自らの仇敵である長岡を片付けてきている。

51 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:25:51.51 ID:pyRuUu9v0
( ^ω^)「その、ツンという人の細かい情報をくれお」

(,,゚Д゚)「ようがす、では――」

するとギコは、懐から今度は畳まれた粗紙を出した。
広げると地図である。
複雑な線がごちゃごちゃと入り混じって描かれた図の中に、ひとつ目立つように印が付けられてある。

(,,゚Д゚)「ここに奴は住んでいる。備富の町の中でも、かなり山に近い地域にあるな。
    木々と緑が生い茂っておるから、この時期はさぞ涼しかろう。その分夏虫も煩いに違いないが」

( ^ω^)「行ったことのないところだお」

(,,゚Д゚)「珍しい。行商人の貴殿が」

(;^ω^)「あんまり人気がなさそうなところには行かないんだお。面倒な割に見返りが少ないし」

(,,゚Д゚)「ふむ。まあでも、そのほうがよいな。
    足を運んだことがないのであれば顔を見られている可能性も低いであろう。
    むしろ好都合ではないか。よきことかな」

くつくつとギコは喉を鳴らす。内藤の眼差しは不変である。

53 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:27:05.44 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「さて内藤。話を戻す。
    前回話した通り、このツンという女は大変猜疑心甚だしい人物だと巷間で言われている。
    しかも屋敷から出てこないものだから懐を探るのも一苦労だ」

内藤は部屋の中に一日中籠る女性の姿を想像する。
光はない。音もない。外界と接することなどまるで叶わない。
膝を抱え、ただ無為に時を消費する。

それでは――檻に込められているのと変わらぬのではないか。

( ^ω^)(楽しいのかお、そんな暮らし)

(,,゚Д゚)「そこで」

ギコはあぐらをかいている膝を諸手でぴしゃりと打つ。

(,,゚Д゚)「貴殿にはこの女の心を開いてもらいたい」

(;^ω^)「――は?」

意想外な発言に内藤は唖然とする。

(;^ω^)「なんでまた、そんな」

55 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:29:49.01 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「いやいや、これにはちゃんとした理由があるのだ。ツンには用心棒がいることは既に伝えたな?」

( ^ω^)「ああ……なんか出鱈目に強いと噂の人なんでしょうお」

(,,゚Д゚)「うむ。だが隙はあると信じ、顔を巻布で隠して何度かに分けて張り込み行ったことがある。
    これでも下調べには労力を惜しまない性なんでな」

( ^ω^)「意外と真面目」

(,,゚Д゚)「うむ。余念はない」

ようやくギコは茶をすする。遠慮なく不味そうな顔をする。

(,,゚Д゚)「しかし無理だった。女が顔を見せることはない。
    あの用心棒の監視の目を盗んで侵入することも考えたが、それはあまりにも虎穴すぎる。
    やはりこちらから正面切って乗りこまねばならぬようだ」

燭台の灯がふっと揺れる。夜風が出てきたか。

(,,゚Д゚)「そこで貴殿の出番だ。貴殿にツンからの信用を勝ち取ってもらいたい」

( ^ω^)「例の用心棒が傍にいなくても大丈夫なくらいに……かお」

(,,゚Д゚)「おうよ」

56 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:32:15.85 ID:pyRuUu9v0
(;^ω^)(こりゃ思ったより面倒なことになりそうだお)

(,,゚Д゚)「もちろん早急には無理だ。
    時間をかけて少しずつ氷を融かし、過不足なく支度を済ませてから――ざくり、と。
    長期に及ぶであろう作戦だが……これ以上の策は捻り出せぬのでな」

( ^ω^)「でも、それだったら僕じゃなくてギコさんでもできたんじゃ……」

(,,゚Д゚)「だから既に顔を見られたと言っておろうが。
    俺は御覧の通り、見るからに不審だと世の者どもに思われるのでな。
    月並の人間にも用心されるぐらいだ。
    ましてあの女だ。一度覚えたら間違いなく神経を尖らせてかかるだろう。一対一の状況などまず作れまい」

確かに、眼前にいる浪人では殺気が強すぎる。
蝋に灯した裸火の仄かな明かりに照らされたその顔は、成程眉目秀麗ではあるのだが、
どうにも表情に内面の危うさが滲み出てしまっている。

一方内藤は、決して男前とは呼べぬが、常に笑みを湛えた柔らかい顔つきである。

(,,゚Д゚)「よって貴殿のほうが適任なのだ。
    その穏和な表情、柔和な物腰、さすがのツンもまさか自分を殺しに来た刺客だとは思うまい」

ギコは首筋の辺りを掻いた。
蚊かな、と内藤は思う。そういえば今夏はまだ蚊帳を出していない。

59 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:35:05.87 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「貴殿は恵比寿顔だとよく言われるだろう」

( ^ω^)「まあ、言われてみれば身に覚えが……だからって恵比寿さまの加護があるわけではないけど」

もしそんなものが自分にあるのであれば商売繁盛のご利益がもたらされているはずだ。

(,,゚Д゚)「それにだ、今だからこそ白状するが、俺は前もってある調査をしていてな。
    貴殿の屋敷を伺う数日前から、貴殿の評判を備府町の民衆に訊いておったのだ」

( ^ω^)「えっ、本当かお?」

内藤は、自分でもなんだかよく分からぬのだが、頬の肌がぽっと赤くなるのを感じた。

(;^ω^)(恥ずかしい……)

(,,゚Д゚)「『薬売りの内藤』の人物評価は中々上々であった。
    品や舌先ではなく人柄の良さで商売をしているなどと、皆口を揃えて言っておったわ。
    俺は安心したぞ。この男なら我が計画を成し遂げてくれるだろうとな」

(;^ω^)「はあ……」

嬉しいやら照れ臭いやらで、内藤の丸い顔は一段と赤く染まった。
障子窓の狭間から吹き込む冷めた風がありがたく感じる。

(,,゚Д゚)「言っただろう、下調べに余念はないと。それだけ俺はツン殺しに本気なのだ」

そう締めくくる。

60 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:39:13.59 ID:pyRuUu9v0
(,,゚Д゚)「――内藤よ」

ギコは内藤の眉間あたりに目線の先の照準を合わせる。

(;^ω^)(また、あの目だお)

己の奥底に潜んでいるものを暴露するかのような、あの目つき。
内藤はこの目がどうにも苦手だ。訳もなく背筋が冷える。

(,,゚Д゚)「俺はこの女が大層憎い。こやつの事を考えるだけで腸が煮えくりかえる。
    一刻も早く冥途に葬り去ってもらいたいが、今は我慢せねばならぬ。焦りは失敗の種だ。
    貴殿の務めが滞りなく成功することを祈っておるぞ」

内藤には、どうしてそこまでギコが怨恨を抱いているのか解らぬ。

( ^ω^)(まあ根が似たような事情があるんだろうお。追及はしないでおくお)

あまり深い事情は内藤としても知りたくない。
無闇やたらに話を追って、仮に女に同情を覚えるような動機であったならば、逡巡が生まれるかもしれぬ。
それはいけない。あくまでも事務的に施さなければならない。

それが一番内藤の精神衛生上良い。

61 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:40:28.87 ID:pyRuUu9v0
日中あれほど喚いていた虫の声は何ひとつ聴こえない。
静かな夜である。

(,,゚Д゚)「俺が最も危惧していることは、貴殿がこの女と関わって情に流されてしまわぬかということだが……。
    まあ、貴殿に限ってそれはないであろうな」

( ^ω^)「さあ、どうかお。僕も男寡、花の代わりに蛆の湧く年頃になってきたお。
      なにせこれまで女っ気のないお寒い人生を送ってきたものだから、
      実際に会って惚れてしまうこともあるかも知れないお」

(,,゚Д゚)「ん、惚れる?」

( ^ω^)「そうだお。もしかしたら」

(,,゚Д゚)「……ふははは! それは面白い冗談だな!」

突然ギコは大声で笑い出した。

(,,゚Д゚)「その点に関しては全く心配なぞしておらんわ。
    恋煩い? 物想い? わはは、ありえぬありえぬ」

ギコはまだ腹を抱えている。

63 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/01(木) 23:44:29.20 ID:pyRuUu9v0
不可思議に思い内藤は問う。

(;^ω^)「何がそんなにおかしいのかお」

(,,゚Д゚)「うふふ、実際に目にすれば分かるというものよ。
    ともかく、そのような感情に左右されることなどないと信じておるのでな、一任するぞ」

湯呑みを掴み上げ残りの茶を一気に飲み干すと、ギコは起立し、

(,,゚Д゚)「また明日の夜に来る。陽の出ている間にひとまずの段階を済ませておいてくれ」

と言い残して戸板を開けると、瞬く間に闇に溶けていった。

( ^ω^)「……ふぅ」

内藤はぐるりと両の肩を回す。だが、前に回転させようが後ろに回転させようが、ぎこちなくしか動かない。
重荷は取れていない。むしろ増したような感じさえする。

( ^ω^)「……とりあえず……会いに行かないことには何も始まらないお」

ともかく明日は出向かねばならぬ。

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