6.縲絏ノ種
2 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:39:27.57 ID:SMLxKvOy0
6.縲絏ノ種


医者は顔を見ずとも患部で患者が判るという。

箱屋は締めた帯の色と柄で芸妓が誰であるかを思い起こす。

多くの依頼を捌かねばならない業者にとって、顔は人物を見分ける符号のひとつに過ぎぬ。
だから場合によっては顧客の区別の式に用いられぬこともある。

そしてそれは薬売りの内藤にも当てはまる。
町で偶然出くわした際、顔貌にぴんと来ずとも、症例を聞けば客の名前と処方箋を割り出すことが出来る。

しかしながら基本は信用商売、出来得る限り懇ろな仲になるようには努めている。
馴染みとなると内藤も流石に顔は覚える。
そうして相互の信頼に基づいた良き関係を構築する。

元来冷めた付き合いを好む人間ではないから、そちらのほうが内藤としても気楽だった。
割り切った間柄を維持し続けるのはあまり得手ではない。

その中には単なる客と商人の垣根を超えた特別な交わりのある者も幾人かいる。

例えば長屋住まいの娘、クーがそうである。

3 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:42:00.00 ID:SMLxKvOy0
川 ゚ -゚)「つまらなかった」

早朝整腸剤を運びに来宅した内藤への第一声が、それであった。

( ^ω^)「はい?」

当然内藤は返しに困る。何が何やらさっぱりである。
クーはそんな内藤に構わず続ける。

川 ゚ -゚)「ドクオから渡された読み物が相も変わらずつまらなかったんだよ」

嫌味っ気を不断に含んだ口振りであった。流石に内藤も意を察し、

( ^ω^)「ああ……そういうことですかお。また性懲りもなくあいつが自著を見せに来たと」

川 ゚ -゚)「うむ。で、案の定だった。君の口から伝えておいてくれ。
     私からはとても出来ないからな。今にも死にそうな面により陰影が増す様は見てられない」

( ^ω^)「はあ、んじゃそうしておきますお」

と答えてはみたが、内藤はそのままそっくり感想を配達する気はない。
目の前で舌を噛まれては困る。

4 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:44:55.53 ID:SMLxKvOy0
クーは呆れたようにふうと息を吐き、

川 ゚ -゚)「いやそれにしてもしかしだ、あの偽雲助、
     『空想において現実を凌駕したが故憂き目を見た、原始にして無二の傑物羅貫中に捧ぐ』
     などと恥ずかしくなるくらいご大層なことを書き始めに記していたが、
     まあ何のことはない、雨月物語から拝借した文句だな、あれは。
     羅子水滸を撰して、而して三世唖児を生む――見事に序文からの受け売りだ。
     そんなところだけ無駄に格好をつけても、
     肝心の中身が伴っていないんじゃ余計惨めな仕上がりになるだけだろうに」

(;^ω^)「へ、へえ、おっしゃる通りで」

娯楽書方面に疎い内藤にはクーの科白の意味は分からぬ。
分からぬが、その冷やかな物言いから、辛辣な批判だということは直感で理解できる。

( ^ω^)(ドクオ……お前は本当に哀れな男だお……)

惚れた女にこんなことを直接対峙して言われようものなら、
歯で舌を噛み切るどころではなく、更に悲劇的な自害を試みかねない。

内藤は友人として、ますます強く心の中にしまっておこうという意志を固めた。

5 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:48:27.08 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「ええ、それじゃ、お薬置いておきますお。御代金は――」

川 ゚ -゚)「いや、それなんだが……」

そう口籠ると、クーは気まずそうに一旦面を伏せた。
そして黒すぎて青色がかったようにすら見える漆黒の髪を撫でてから、

川 ゚ -゚)「申し訳ない。給金の支払いがまだなんだ。
     あの雇い主、こっちが矮小な末端の髪結いだからといって、
     多少の遅れの不手際に文句はつけてこれないだろうと踏みやがって」

照れを隠しながらの返事だった。

( ^ω^)「そうですかお。じゃあ御支払いは次回で構いませんお」

薬売りは頭に被っている菅を編んだ笠の角度を正しつつ、微笑みを保ったままそう告げた。

何せクーの住居は年頃の娘が暮らすにはあまりにも相応しくない、屋根瓦すら不揃いの襤褸長屋である。
日銭さえ保証されておらぬ生活ぶりである。
内藤も事情を汲んでクーに持ち合わせがない時には請求を焦ったりはしない。

6 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:51:21.97 ID:SMLxKvOy0
川 ゚ -゚)「すまないな」

( ^ω^)「いえいえお得意様ですから」

川 ゚ -゚)「ふう、まったく、情けないよ」

クーは自嘲気味の嘆息を漏らしながら壁に上半身を預けた。
その板壁にしてもささくれが随分と目立ち、風雨を凌ぐのが精一杯といったところであろう。

( ^ω^)(それにしても……勿体ないことだお)

内藤は、クーの周辺を囲っている景色を眺めながら、
この女性はここにいるべきじゃないのに――という、幾度目か分からぬお節介な思考を手繰らせていた。

クーは旧家の長女である。
それがどうしてこのような赤貧極まる暮らしを送っているかといえば、これがまた転婆な話で、
生まれ持った身分や家格、そして縁に拘束されることを只管忌んだクーが自発的に家を飛び出したせいだ。
当然憤慨した親族から絶縁状を叩きつけられているために血筋からの援助は望めぬ。

――だから私は取るに足らない平民だよ。

以前そんなふうに口にしていた。

9 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:54:46.35 ID:SMLxKvOy0
だが彼女の本来の身の上を明かさずとも、着物のみすぼらしさえも忘れさせる、
小さな花弁が如き唇の、その上品な開き方に、良家の娘たる風格が匿い切れずに漂っている。

( ^ω^)「クーさんも大変でしょうお。今日もこれからお仕事みたいですし」

麗人は斜め上を仰いでから、

川 ゚ -゚)「ううむ、大変と言えば大変だが、そう苦しいことばかりではないな。
     特に髪を結ってやる遊女どもからこれまでに上げた客の話を聞くのは中々に興味深い。
     おお、そうだ」

そこでクーは二度手首同士を叩き合わせた。

川 ゚ ー゚)「先日担当したお通という女からドクオを客として取ったと教わったぞ」

(;^ω^)「ぬおっ? そりゃ本当ですかお?」

そのドクオを友人に持つ青年はぎょっとした。

(;^ω^)(そんなことまで惚れた相手にばらされとるとは……ドクオよ……)

もし自分がドクオの立場だったらと考えると、内藤は己の恥辱でもないというのに顔から火が出る思いをする。

10 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:57:28.93 ID:SMLxKvOy0
川 ゚ -゚)「何もせずに帰ったそうだよ。さっさと去勢したほうがましだな」

(;^ω^)「は、はは、そいつはまた結構な」

内藤は乾いた笑いしか出なかった。
そして、恥晒しめ――と胸裡でそっと憐みを込めて呟いた。

川 ゚ -゚)「これだけ愉快な話も聞けるんだ。
     だからまあ、働いていて嫌になるということはないな」

それはくだらない強がりや意地ではなく、全くの本心のように内藤の耳には聞こえた。

( ^ω^)「……暮らし向きはどうなんでしょう?」

川 ゚ -゚)「そう訊かれると思ったよ。避けては通れない話題だから仕方ないが。
     そうだな――女寡に花が咲く、というのは案の定民間伝承に過ぎない法螺話だったが、
     いやしかし貧乏暮らしも悪くないぞ。飢うる者は食を為し易しとはよく言ったものだな。
     豊かではないが充実はしている」

(;^ω^)「それ多分いい意味の言葉じゃないですお」

川 ゚ -゚)「そうか? 私は発想の転換を導いてくれる偉大な教訓として受け取っているけどな」

内藤にはクーがとぼけているのか真剣に喋っているのかの判別は不可能だった。

11 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 18:59:47.29 ID:SMLxKvOy0
川 ゚ -゚)「それに、そうだ、想像もつかなかった人間関係の輪に気負うことなく入っていけるのも楽しいぞ。
     一軒に集まって近隣の乞食一歩手前の連中と飲み明かす酒の席も乙なもんだ」

クーは盃――というよりも、一升枡を傾けるような手振りをした。

(:^ω^)「毒のあるご近所さん評ですお」

川 ゚ -゚)「事実だから支障ない。彼らが聞いていたら笑い飛ばしてくれるだろう。
     『頓珍漢め、お前も物乞い寸前だろうがよ』と私の鼻っ面を指差しながらな」

そうしてクーは珍しく豪気な笑みを浮かべた。
逞しく、それでいて美しさを一片も欠かない表情であった。

( ^ω^)「はあ……そうですかお」

内藤は暫しぼんやりと見惚れながら、

――強い人だ。

そう思った。

( ^ω^)(ドクオが心寄せるのも分かるってもんだお)

12 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:03:12.67 ID:SMLxKvOy0
川 ゚ -゚)「……とまあ、そんなわけでだ」

すっと笑いを収めると、錦心繍口の人は直線的な眼差しで内藤を見据えて言った。
少々黄色が溶け込んだ黒瞳はしっとりと濡れていて、それが彼女の、肌理細かい肌によく映えていた。

川 ゚ -゚)「そういった体験が己の血となり肉となり骨となり私という人格を組成しているんだ。
     確かにあの家にいた頃は満ち足りていて不自由なんてなかった。
     けれどこれほどのことは籠の中の鳥でしかなかった昔の自分では覚えられなかっただろうな」

言い澱むことなく語る最中で、内藤に向けられた視線が更に集束する。
針と変わらぬ。

川 ゚ -゚)「勿論、君みたいな人物と知り合えたこともだ」

(;^ω^)「ぼ、僕ですかお?」

川 ゚ -゚)「そうだ。君だ。君と出会えたことでどれほど私が助かったことか。
     内藤の薬がなかったら今頃道端で糞尿に塗れて野垂れ死んでいたかも分からない。
     恐ろしい事件だ。妙齢の娘が遺体で発見されようものなら備富中の話題の種になる」

(;^ω^)「それはいくらなんでも大袈裟ですお。ってか後半の話の飛躍っぷりが酷いですお」

聞く側としては苦笑いせざるを得ない。

13 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:06:29.83 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「大体、別に薬を手配するだけなら僕じゃなくても大丈夫ですお」

川 ゚ -゚)「いいや。君じゃなきゃ駄目なんだよ」

(;^ω^)「過大評価ですお」

川 ゚ -゚)「そうかな。少なくとも、私は君の人となりに救われているがね」

クーの真っすぐな物言いに、むしろ内藤のほうが気恥ずかしさを覚えてしまった。

菅笠がずり落ちる。
内藤の額がすっぽり隠れ、顔にかかった影が一段と濃くなる。
叶うことなら、このまま目まで隠して交わっている互いの視線を遮って欲しいと内藤は願う。

川 ゚ -゚)「一つ確かなことは――」

クーは次の句をさらりと、それがあたかも自然な流れであるかのように継ぐ。

川 ゚ -゚)「私は内藤という人間に好意を持っているよ」

(;^ω^)「むぐ」

そこで内藤は完全にやられてしまった

14 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:09:55.52 ID:SMLxKvOy0
川 ゚ -゚)「君の人格からは乗り越えてきたであろう数々の障壁が透けて見えるよ。
     あとどれだけ解決すべき難題を背負っているかまでは分からないがね。
     まったく、あいつも遊び呆けてばかりいないで人生経験が糧になることを知るべきだな」

( ^ω^)「あいつって……」

川 ゚ ー゚)「答えるまでもないだろう」

そう言ってクーは小ぶりの唇を僅かに湾曲させた。

川 ゚ -゚)「――さてと、そろそろ出発しなくてはな。
     呑気に遅刻しようものならまた雇い主に要らぬ隙を与えることになってしまう」

( ^ω^)「おっ、じゃあ、僕もこの辺で邪魔はやめますお」

内藤はクーのために横に二、三歩寄って、わざわざ必要以上の幅を確保して道を空けた。
きびきび動く商人に再び髪結いは顔を向ける。

川 ゚ -゚)「君はこれからどこへ? またせっせと訪問行脚か?」

( ^ω^)「多分そうなりますお。やれやれ今日も帰りは遅くになりそうですお」

当然のことながらツンの屋敷にまで足を延ばすゆえである。

15 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:13:13.30 ID:SMLxKvOy0
川 ゚ -゚)「そうか。だが気をつけたまえよ。この頃備富町に辻が出るとの風評がある。
     一人夜道を歩いていてばっさりいかれるなんてこともあるかも知れん」

(;^ω^)「またまた。悪い冗談はよしてくださいお」

川 ゚ -゚)「冗談なものか。ま、私も信じてはいないけどね。
     何より情報源が烏金を営んでいる輩だ。
     あの胡散臭い古狸の話をいちいち真剣に聞いていては人生を大いに無駄にしてしまう。
     とはいえ、真偽は定かではなくとも留意しておくに越したことはないと思うぞ」

( ^ω^)「はあ」

川 ゚ -゚)「む、それどころではない。行かねば行かねば」

唐突に話を打ち切ると、

川 ゚ -゚)「今日は暑くなるぞ。夏の熱の絞り粕が一気に押し寄せてくる時期だからな。
     処暑を過ぎるまでの辛抱だ。さあて、行くか!」

颯爽と歩き始めたクーを見送りながら、内藤は、もう既に立秋を過ぎていたことを不意に思い出す。
ギコが登場したあの初夏の日から、疾うに一ヶ月を超える月日が経っている。

16 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:18:25.41 ID:SMLxKvOy0



さて、内藤も暑気満ちた中歩きに歩いて今日の目的地である洋館に到着したのだが、
どうしたことか扉を叩いても声を掛けても反応がない。
無論施錠もされている。

( ^ω^)「……おっ?」

建物の外からでも判るほどしんといている。二階の大窓を見上げながら内藤は首を傾げる。

( ^ω^)「お出かけ中かお……いやいや、そんな」

ありえぬ。ここに住まう少女は一歩たりとも外に出ぬ。

( ^ω^)「どうせ寝てるだけだろうお」

ならばクックルだ。

( ^ω^)(うーん、あいつが今屋敷を離れてるのは確実だお)

あの巨漢に関してはこちらの気配を察知しただけでも扉を内から開けてくることがあるくらいである。
それが呼んでも現れないときた。

19 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:22:47.14 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「あっ、そっか。初めて訪問した時もこんな感じだったお」

記憶を辿ると、クックルと初対面を果たした際、彼は薬草の収穫帰りであった。

( ^ω^)(あの時は……裏の畑に行っていたはずだお。今回も多分そうだお。
      ……うんや、普通に買い物に行ってるだけかもしれんお)

ただいずれにせよ、内藤には一つ明解なことがある。

( ^ω^)(どっちにしても今なら畑に足を運ぶことができるお!)

内藤はかねてからこの屋敷の奥にあるという植物園に興味があった。
そこにクックルがいるのであれば探しに来たという口実を盾にすることが出来る。
いないのであれば密やかにではあるが気兼ねなく見学できる。

何より裏とはいうがそれは殆どが木々の生い茂った山としか言いようがない光景なのである。
そうした土地でどのような生産方式を採っているのかが大きな関心の対象となっている。

( ^ω^)「行くしかありませんよねー」

鉄扉の前を離れ屋敷裏手へと回り、麓で竹籠を降ろすと、内藤は単身山の中へと入っていった。

21 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:29:44.62 ID:SMLxKvOy0
しかしながらやはりと言うべきか、菜園があるらしき奥へと向かう通路は、
傾斜はきつくないとはいえ純然たる山道そのものであった。

右を見ても雑多に点在する樹木と繁茂した野草があるばかりであり、左を見ても同様の山林風景だった。
その上蝉が徒党を組んで歌っている。
殊更に喧しい。
葉の隙間からは太陽光が細く伸びて秋雨みたいに注がれている。

その葉はほんの少し色づいている。
色の移り具合に個体差があるために、多種多様な模様を描いており、いつまで経っても景色が安定しない。

どこか幻想的ですらあった。
山奥に潜れば潜るほどに現実から乖離されていく。夢と現の境目が曖昧になる。
どこに続いているのかも定かではない。

内藤は訳もなく薄ら寒くなる。
自分の存在が呑み込まれていくような、そんな気がしてならぬ。

(;^ω^)「樹海探索に来たわけじゃないっての……」

そんな愚痴も思わず零れる始末である。

24 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:35:06.34 ID:SMLxKvOy0
けれども歩を進めていくうちに、次第に脚に伝わる斜面の感覚は段々となだらかになっていき、
限りなく角度が平らに近い感触になったところで内藤はぴたりと停止した。

そして一度息を吐く。

( ^ω^)(もし僕が畑を作るとしたら……この辺りにするお。
      クックルが同じ考えだとしたら……)

己の直感を信じて足を止めたままきょろきょろと周辺を見回すと、
ここまでの経路で映り込んできたものとは異なる緑色が栄えている地点に目が留まる。
整列している。明らかに野生ではない。

あそこだ――内藤は無邪気な好奇心のままに向かう。

よくよく観察すれば、山道の脇からその位置にまで一直線に伸びた獣道が通っている。
クックルが幾度も往復するうちに踏み均されて出来たのであろう。

(;^ω^)「でも横に生えてる雑草がすんごい邪魔くさいお」

中央に倒れ掛かってくる、高く伸びた苧や箒菊の葉を掻き分けて着いた場所は、
やはりと言うべきか目当てにしていた薬草の栽培園であった。

( ^ω^)「おっおっ、こりゃあ柴胡だお」

内藤は軽い感動を覚えた。それは安堵にも似た感情だった。

25 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:37:28.83 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「成程、柴胡なら山に自生するぐらいだし、ここでも育てやすそうだお」

一人自己完結的に感心する。
それから腰を屈めて柴胡と背丈を合わせ、その華奢な茎を指の腹でそっと撫でた。

( ^ω^)「こいつはやっぱりあの黄色い花がいいんだお。ちっちゃくてかわいらしくて。
      確か花が咲くのは……ええと……秋頃だったかな……ちょっとうろ覚えだお」

そこでふと、内藤は己を中心とするぐるりを見渡した。
特別な理由があったわけではない。なんとなくである。
ただ、予感がしたのだ。
我知らず駆け抜けた予感になど説明のつけようがない。

そうして実際に周囲を眺めてみると、
何のことはない、相変わらず森林が無尽蔵に広がり、その先端部だけが青空に溶けているばかりである。

しかし――。

何やら異質なものを感じる。

やけに静かである。

28 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:41:45.20 ID:SMLxKvOy0
この場所には蝉の声が届いていない。
草木が揺れる音さえしない。全くの無風である。

寒気がした。
無論気温が急速に下がったという落ちではない。晩夏とはいえ夏は夏である。
まだまだ暑さは引いておらぬ。

だのに内藤は首筋に若干の凍えを覚えた。
この空気に耐えかねたのか両方の肩がぶるると震えた。

ここは――異界だ。

現実世界から何かを封じる結界が張られている。
その『何か』の正体に内藤は怯えている。

再び内藤は視線を一周させた。
今度は下に目をやる。すると、

( ^ω^)「……ん?」

ある一カ所だけ野草が寝倒れていて、丁度入口のようになっている。
はっきりとは確認できぬが最奥に小さな点状の光があるようにも見て取れる。

29 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:46:08.27 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)(あそこにも道が?)

発覚した途端、また蝉時雨が聴こえ出した。
東から突風が吹き、棒立ちする内藤の頬を掠めていった。

幻影は終わった。

同時に、この先にあるものが紛れもない現実であることを告げるかのような――そんな気色だった。

そう考えると、先程の無音は猶予期間だったのかも知れぬ。
とはいえここまで来て今更止まるという選択肢は内藤にはない。恐々ながら侵入していく。

一層狭い道だった。
この細道をクックルの巨体が通過しているのかと思うと滑稽だったが、見方を変えると不気味にも感じた。

小路を抜けると、またも盆東風が内藤に吹きかかってきた。

辿り着いた先は開けた平地だった。
その中央より少しずれた場所に、草花が規則的に植えられている。

( ^ω^)「ここにも畑を作ってたのかお」

接近する。そして全容が明らかになった時――内藤は目を瞬かせた。
己の視野に広がっているものが、瞳に映り込んできたものが、信じられなかった。

31 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:49:53.09 ID:SMLxKvOy0
植物の草丈はほぼ内藤の身長に等しい。
葉には柄がなく、茎を抱きこむようにして付随している。
まずこの時点で内藤はよからぬ気配を覚えたが、
何よりも視覚的に衝撃だったのは、頂に座している、いささか白濁した緑色の未熟果である。

(;^ω^)「いやいや……そんなまさか……」

間違いようがなかった。

花はとっくに枯れ、内藤の目線の高さに果実が生っている。
実の大きさは拳大程度。形は歪な球状である。
この果実には見覚えがある。
いや、見覚えというよりも、知識があると言った方が正しい。

過去に書物の中で読んだ経験があるのみで、実物を目にしたことはない。
それが今、内藤の眼前に、凶悪極まりない威圧感を放ち実存している。

強烈な眩暈感に襲われた。
偏頭痛が止まない。
視点の的がはっきりとしない。
喉奥がひどく熱い。にも拘わらず背骨は凍えている。その些事に過ぎない矛盾にすら内藤は苦悩する。

願わくば夢であってほしかった。それにしても悪夢であることは変わらない。

32 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:53:26.91 ID:SMLxKvOy0
内藤は額に滴る冷や汗を平手で払い、よろめきながら力なく後退する。

(;^ω^)「これは、阿芙蓉――」

そう弱々しく呟いた瞬息のことである。
内藤の背中に硬質な感触があった。

(;^ω^)「おっ」

衝突で弾き飛ばされそうになりつつも、なんとか立姿勢を保ち、内藤は勇気と共に振り返る。

( ^ω^)「……クックル……」

( ゚∋゚)「……」

真後ろに立っていたのは、果たしてこの園の主であった。

無言である。
呆けている。
どこを見ているのかも判らぬ。
内藤なのか、青草なのか、その奥に聳えている森林か、或いは単なる何もない虚無の空間か――。
全く定かではない。

けれど内藤には、そのいずれでもない気がした。

34 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:57:01.17 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「クックル……これは……」

と、内藤が恐る恐る訊くと、ようやく目を合わせた。
普段の怜悧な眼差しではなく、頼りない子供じみた目だった。
そして依然として口は閉されたままである。

( ^ω^)「こいつは……芥子の実じゃないかお。
      それもこの大きさ、阿芙蓉――アヘンを採るための品種じゃないかお!」

知らず、怒気が籠り語尾が強くなった。
芥子は観賞用としても植えられる。しかし園芸種の芥子の果実はこれよりも遥かに小型である。
クックルが意図的に薬剤目的で育成していたことは明らかだった。

アヘン――後に清国の崩壊を招くこととなる禁断薬物。

ごく稀に長崎貿易で極秘裏に持ち込まれ、医療品という名目で出回ったり、
もしくは単刀直入に麻薬として裏取引の材料に使われているらしい――とは内藤も話半分で聞いている。
巷間では遊廓で買われている女郎に吸引させ客と交わらせているという噂も耳に挟む。

だがあくまで密輸品であって、国内での生産はほとんど行われていないはず。
そういう認識であった。

だからこそ尚のこと驚愕した。

35 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 19:58:54.10 ID:SMLxKvOy0
(#^ω^)「なんでこんなものを……アヘンの栽培は禁忌だお!」

丸い顔を赤くさせて怒鳴った。
自分の中で何かが燃え盛っていることにこの男は気付いていない。
日頃滅多に寄ることのない眉間の皺が、彼の温厚な恵比寿顔にひどく不似合いだった。

( ^ω^)「知らなかったとは言わせないお」

内藤は一切目線を外さない。瞬きさえ忘れている。
そしてそれは、お互いにである。

(#^ω^)「どうして……どうしてあんたがこんなものを育ててるんだお!
      生活のために薬効植物を作ってるんじゃなかったのかお!
      確かに芥子の実にも薬効はあるお。鎮痛作用があると僕も本で学んだお。
      でも主な効果は……中毒性の高い幻覚を引き起こすことだお!」

感情に任せて内藤は責め続けた。

法に基づく道徳心ではない。法は人間が作った利害追及式の掟に過ぎぬ。
この場でそんなものは然程重要な枷ではない。
そもそもこの国ではアヘンの密輸及び密造を明確に取り締まる禁令は発布されていない。
罪に問うことは出来ぬ。

ただ、商売に従事し薬品に携わる者として、狂乱を招くアヘンの存在を許すことが出来なかった。
それだけだった。

37 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:02:48.86 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「――カゴガ」

ようやく言葉を発したかと思えば、それである。

( ゚∋゚)「ヤシキノ ウラニ カゴガ アッタカラ キヅイテ オッテキタ」

( ^ω^)「……だから何だって言うんだお。勝手に来たことに関しては謝るお。
      鬼の居ぬ間に洗濯してやろうっていう幼稚な悪戯心が働いたことも認めるお。
      でも、あんたが僕に畑に入るなって注意していたのは――こういう理由だったんだお」

今度は泣きそうな面持ちになった。
憤りが通り過ぎると、その反動からか怒涛の勢いで悲しみの波が彼の胸に押し寄せてきていた。

内藤は、幼いツンに忠義を尽くすクックルに対して非常な好感を抱いていた。
悪い人間だとは到底思えなかった。

( ^ω^)「それが……どうして……」

そこで閉口してしまった。
絶句に近い。
暫時粛然とした空気が流れる。
静かではあるが、静謐とは呼べず、暴力とでも表したくなるような支配的な潮流に先導された沈黙だった。

38 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:05:44.82 ID:SMLxKvOy0
森閑を裂いたのはクックルからだった。

( ゚∋゚)「シカタガ ナカッタ」

( ^ω^)「仕方がないだって?」

( ゚∋゚)「ヘイオンナ セイカツヲ オクルタメ――ツイサッキ クスリヤモ イッタダロウ」

クックルの声は平時同様凄みのある重低音である。
しかしながら口調はやけに穏やかだった。さながら観念したかのように。

( ^ω^)「生活? それは問屋に薬草を運んで稼いでると言っていたじゃないかお。
      あれは全部真っ赤な嘘だったのかお!」

( ゚∋゚)「チガウ! ソウジャナイ。 キイテクレ」

塗壁を彷彿とさせる巨躯が縮んだのではと錯覚しそうになる、珍しくも懇願するが如き言い方だった。
何やら内情があるらしい。内藤はそう察して、

( ^ω^)「分かったお……話だけでも大人しく聞くお」

そこで次の科白を待った。

41 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:09:41.37 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「スマナイ」

クックルは一度、心中の起伏を抑えつけるかのように下唇を噛み締めて天を仰ぎ、それから対話に戻った。

( ゚∋゚)「ヤクソウヲ ウッテ カネヲ エテイタノハ ホントウダ。
     イマサラ ナニヲ イウカト オモウカモ シレンガ シンジテホシイ。
     コレハ ウソイツワリナイ コトダ」

( ^ω^)「信じるお。あんたは秘密は作っても、みっともない嘘を吐くような人じゃないお。
      問題はなんでアヘン精製用の芥子まで育てていたのかってことだお」

( ゚∋゚)「……イチカラ ハナシタイ」

( ^ω^)「出来ることなら僕もそうしてほしいお。詳しく知りたいから」

( ゚∋゚)「ソレデハ」

呼吸を整えてから言う。

( ゚∋゚)「モトモト コノトチノ ハタケハ ダンナカラ ウケツイダ モノ トイウコトハ ツタエタナ」

( ^ω^)「それは聞いたお」

42 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:12:59.99 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「ダンナハ スグレタ ヤクガクシャ ダッタ。
     ソシテ ハテノナイ タイシノ モチヌシデモ アッタ。
     トオイ イコクノ チデ オランダノ ヤクガク ヒロメルコト。 ソレガ ダンナノ ユメダッタ」

( ^ω^)「そしてあんたと、ツンの母親はそれに付いてきた、と」

そこまでは教わっている。

( ゚∋゚)「ウム。 ソシテ ダンナハ ライニチシ トチヲ ユズリウケタ コノマチニ ツイタトキ
     イチバン ハジメニ イマノ イエヲ タテサセタ。
     スグニデモ ガクモンノ デンジュヲ ハジメタカッタ ミタイデナ」

( ^ω^)「じゃああの屋敷は、最初から塾を開講するための建物だったのかお?」

( ゚∋゚)「アア。 ユクユクハ リュウガクセイトシテ ホンコクニ ツレカエル ヨテイモ アッタヨウダ。
     ソンナ ダンナノ ハカライデ コノヤシキ ヤクガクト ショクブツガクノ チシキヲ サズケル ダケデナク
     オランダデノ セイカツヨウシキモ マナベルヨウニ シテアル」

(;^ω^)「そんな壮大な計画があったのかお。随分と志が高い人だったんだお」

合点がいった。
わざわざ住居を広大かつ西洋風の造りにしたのはそのためか。

43 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:16:53.03 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「ううん……でもそれには」

――金が要る。

( ゚∋゚)「タリヌブンハ コウリガシカラ カネヲ カリル ヒツヨウガ アッタ。
     ソノ ヘンサイニ ダンナ アタマヲ ナヤマセテイタナ。
     クワエテ セイカツヒモ ネンシュツ セネバ ナラン」

( ^ω^)「だけど塾生からの謝礼金で賄えなかったのかお。
      まさか誰にでも門戸を開いた慈善事業なんてことはないだろうし」

( ゚∋゚)「ソレガ ドウモ タイシタ カセギニハ ナラナカッタ ミタイダ。 ソウ キイテイル。
     ハジメコソ キョウミホンイデ マナビニ クル モノドモモ ケッコウ イタガ
     ゼンインガ ゼンイン オマエノ ヨウナ ネッシンナ ニンゲン トイウ ワケジャ ナイ。
     スウニンノ カギラレタ セイトシカ ノコラナカッタ。 ミカエリハ キタイ デキナカッタ」

( ^ω^)「ふうむ……」

行商人の内藤に自営の難しさは解らぬ。ましてやそれが学問従事者であるならば尚更である。
口を挟めなかった。

44 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:21:08.86 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「ソノコト ヌキニシテモダ ナニヨリモ ヤクニンガ メヲ ヒカラセテイル。
     カクレテ シュウキョウヲ オシエテ イルノデハ ナイカトナ。
     アマリ キボ オオキク デキヤシナイカラ ソレホド オオクノ ジュクセイ ナンテ トレナイ。 
     クスリヤモ ソンザイ シラナカッタダロウ」

内藤はゆっくりと頷いた。
その話も聞かされている。

( ゚∋゚)「ツマリ ソノテイドノ モノ ダッタノダ。 ソコデ ウエテイル ヤクソウノ ハンバイヲ ハジメタ。
     ダガ ソノコロ オジョウガ ウマレテ オクガタノ テガ アカナクナッタ。
     オレモ テツダッタガ ジュチュウニ セイサンガ オイツカナクテナ」

( ^ω^)「確かに個人で収穫できる量には限界があるお。
      苦し紛れにこの山に自生してる草を採取したとしても――」

( ゚∋゚)「カイトリテガ ツクカハ ワカラナイ」

その点は内藤自身が一番よく分かっている。
自分も薬草栽培を行っているとはいえ趣味の域を出ない。とてもじゃないが本職になど出来ぬ。

内藤家の庭の菜園も、山中で観覧した二つの畑も至って小規模である。
これ以上のものとなると、十全な土地を確保したうえで一世帯が本意気を入れて農業に励まねばならない。
そういった大風呂敷を広げた仮定は所詮絵に描いた餅に過ぎない。

46 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:31:17.84 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「コウケツナ ケツイハ コンキュウニ マケテ マガッテシマッタ。
     カネガ ヒツヨウ ダッタ ダンナタチハ ケシノ セイイクニ トリクムヨウニ ナッテシマッタ。
     タネハ コウシンリョウトシテ ワズカバカリ モチコンダ モノガ アマッテイタ」

(;^ω^)「そんな危なっかしいものを持参して入国することが許されたのかお?
      何かしらの規制に引っ掛かったりしないのかお?」

( ゚∋゚)「ワカラン。 ワカランガダ。
     カンサスル ヤツラ アヘンノ モトノ ジョウタイ ソレモ タネノ スガタナド ワカルハズガ ナイ。
     モシ イハンダッタト シテモ キヅカレル コトハ マズ アリエン。
     イマ オモエバ ダンナ サイアクノ ジタイ ソウテイシテ
     ハナカラ ダイチニ マクタメヨウニ ケシノタネヲ モッテ キテイタノカモ シレンナ」

(;^ω^)「そんな……」

内藤は愕然とした。
頭の中で思い描いていたツンの両親の想像図は虚しく崩れ果て瓦礫となった。

内藤は、ツンの両親を薬学者として尊敬に値する人物だと思っていた。

だがその認識には大いなる相違があった。内藤は知ってしまった。
彼らは薬学者としての立志を成し遂げんとする清い精神の持ち主などではなく、
いくら世を渡るためとはいえ、金策に窮した果てに卑しくも阿芙蓉の栽培に手を染めてしまうような、

薄弱な人間だということに。

48 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:34:15.70 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「……でも、でもだお、それはあくまでツンの親御さんの話じゃないかお。
      もうその二人はいないお。今は関係ないことじゃ」

その切り返しを、クックルは首を平行に振ることで遮った。

( ゚∋゚)「ハナシ ココデ オワリジャナイ。 ツヅキガ アル」

( ^ω^)「続き?」

まだあったのか。
寄っていた内藤の眉根がだらしなく緩む。

正直言ってうんざりしていた。
友に突然裏切られたような暗澹とした気分が、会話の間中寸刻も途切れることなく継続している。
己自身も最後には非道な形で少女を裏切らなければならないことも忘れて。

けれどもここで聴取を中断することは有り得なかった。

義務感ではない。
使命感でもない。

ただひたすらに――クックルの告白を聞くことが、自分に科されらた宿命であるかのように感じられた。

50 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:40:16.79 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「クスリヤヨ ナゼ チイサナ オジョウ ノコシテ ダンナト オクガタハ デテイッタト オモウ?」

( ^ω^)「ツンの家の都合を僕が分かるわけないじゃないかお」

( ゚∋゚)「ダロウナ。 スマン。 グモン ダッタ。
     コレハ――ホンネヲ イウト スコシ イイニクイ コト ナノダガ」

それが本当に言いにくそうな参った表情をするものだから、内藤は少し困惑してしまった。

( ゚∋゚)「ジツハ ソレモ カネガ カランデイタノダ」

( ^ω^)「どういうことだお?」

( ゚∋゚)「モウ ズイブント マエニ ナル。 オジョウガ ヒトリデ ヨウヲ タセル ヨウニ ナッタ コロダ。
     コノコロニ ナルト ジュクセイハ ヒトリモ イナクナッテイタ。
     シュウニュウノ タイハンヲ アヘンノ ハンバイニ イゾンスル ヒドイ クラシ ダッタ」

内藤はクックルの強面を見上げた状態で聞き入った。

( ゚∋゚)「ソコニ トアル ハンカラ ツカイガ アッタ。
     ナニヤラ ダイミョウ トカイウ オエラガタ カラノ イライデ キタ ラシカッタガ」

52 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:44:46.36 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「大名? どこの領のだお?」

( ゚∋゚)「オボエトラン。 トイウヨリ ワカラン。 
     コノクニデノ ミシラヌ トチノ チリナド ホトンド ワカラナイ」

( ^ω^)「まあそれは仕方ないけど……」

( ゚∋゚)「ツヅケルゾ。 マダマダ ナガクナルガ カンベン シテクレ。
     ドウニモ ソノ ダイミョウ トヤラガ ショガイコクノ ブンカヲ コノム ニンゲン ラシク
     オランダノ ガクシャガ イルトイウ ウワサヲ ミミニ ハサンデ キョウミヲ シメシタラシイ」

( ^ω^)「どこでそんな噂を嗅ぎつけたんだお?」

( ゚∋゚)「カコノ ジュクセイガ シカンシテイテ ハナシテ キカセタ ソウダ」

( ^ω^)「じゃあ、それまで真面目にやっていたことも無駄じゃあなかったのかお」

だったら少しは救いがあるな。
そう思った。

当然ながらツンの父親の愚行は許されることではない。
それでもなぜかほっとした。我意や道徳の優先度に関係なく、内藤はそんなふうに考えてしまう性質である。

54 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:49:23.03 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「トニカク アラワレタ シシャハ ダンナフサイヲ ツレテ カエリタカッタ ヨウダ。
     ソウ オモウノモ ムリナイ。 キャッカンテキニ ミテモ フタリハ ユウシュウデ シカモ メズラシイ。
     ホンカクテキナ オランダノ ヤクガクシャナド ホカニ ソウソウ イマイ。
     ソシテ ソノ ダンナヲ カンペキニ ホサデキル ジンザイモ オクダカシカ イナイ」

( ^ω^)「まあ確かに……」

( ゚∋゚)「ダカラカハ シランガ テイジサレタ ジョウケンモ カナリ スゴカッタ。
     ヒヨウモ フタンスル ケンキュウスル バショモ ヨウイスルト――ソウイッタ ナイヨウダッタ」

( ^ω^)「だけど不審には感じなかったのかお、それ」

( ゚∋゚)「ムロン ソノハナシヲ モチカケラレタ サイ サイショハ ダンナモ ウタガッテ カカッテイタ。
     サギデハ ナイカ ダマシテ コクガイツイホウニ ショサレルノデハ ナイカ トナ。
     ダガ ソイツラハ マエモッテ イクラカ カネヲ ダスト モウシデテキタ」

( ^ω^)「ははあ、そいつは悪い話じゃないお」

むしろ旨い話である。
依頼主が先にある程度の金額を支払ってくれるとなれば破格の誠意といえる。
和蘭薬学の伝来という甘い理想と、禁断薬物への関与という厳しい現実の狭間で喘いでいたならば尚更だ。
これを契機に悪循環を打破したかったに違いない。

55 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:51:34.82 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「ウム。 オレノ ミミカラ キイテモ ミリョクテキ ダッタ」

( ^ω^)「乗ったのかお」

( ゚∋゚)「ノッタ」

縋る想いもあったのだろう。

( ゚∋゚)「シカシ ホンカクテキナ キャクジントシテ マネカレルト ナルト オジョウガ ジャマニ ナル。
     ソコマデノ メンドウ サスガニ ミテモラエナイ。
     ヒツヨウト サレテルノハ アクマデモ チシキノアル ダンナフサイ ダケダッタ。
     ダカラ オイテイクシカ ナカッタ。 オレモ ソノ オモリデ ザンリュウスル コトニ ナッタ」

( ^ω^)「それがツンと二人暮らしをするようになった経緯、かお」

( ゚∋゚)「ソウダ」

( ^ω^)「……あんたは納得しているのかお」

( ゚∋゚)「ドレニダ?」

( ^ω^)「主人が出ていったことと、ツンと自分が残されたこと――この二つを受け入れられたのかお」

57 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:55:39.47 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「リョウホウ トモ ナットク シテイル。
     ダンナノ ユメガ カナウノデ アレバ ソレガ サイゼンダ。
     ソレニ オジョウハ マダ チイサカッタカラ
     オヤ イナイ カナシミヤ サミシサヲ アマリ ヨク ワカラナイママデ イラレル」

( ^ω^)「つまり苦労するのはあんただけ」

そこを指摘するとクックルは押し黙った。
うっすらとではあるが、内藤にも段々事情が呑み込めてきた。

( ゚∋゚)「……マアナ。 オレガ イレバ ナントカナル コトダッタ」

哀愁を帯びた瞳でそう呟く。

( ゚∋゚)「モットモ キンセンメンノ フツゴウハ スッカリ カイショウ サレテイタゾ。
     マエキンヲ ダンナタチハ ノコシテ イッテ クレタノデナ。
     マズハ コノカネデ シャッキンヲ ヘンサイシタガ ソレデモ マダ ダイブ アマッタ。
     ソノヨジョウト オレガ ヒキツイダ ハタケシゴトノ シュウニュウデ ソレナリニハ セイカツ デキテイタ」

( ^ω^)「へえ、一応は旅立った後のことも考えてたのかお」

どういう思惑があったかまでは分からぬが、その部分に関してだけは親心が発揮されていたらしい。

59 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 20:59:13.86 ID:SMLxKvOy0
とはいえ未だ霧は晴れていない。
去り際の心理が幾分測れただけで、その後の二人の行動は浮かび上がってこない。

( ^ω^)「ツンの両親は今どうしているのかお?」

( ゚∋゚)「ワカラン。 マエハ タマニ オクガタカラ タヨリガ アッタガ モウズット キテイナイ。
     ゲンザイ ナニヲ シテイルノカ オレモ マッタク ケントウガ ツイテイナイ」

( ^ω^)「ふうん……」

何かが喉元に突っかかる。しかしその不透明な『何か』が掌握できないでいる。

( ^ω^)「いや、そうじゃない、そんなんじゃなくて!」

急に内藤は思索を打ち切って、本題へと踏み込んだ。

( ^ω^)「それよりだお! そこから、どうしてあんたまで芥子の育成をするようになったんだお?
      話が繋がらないお。お金の心配がなくなったならそんな危ない橋を渡る必要はないじゃないかお」

( ゚∋゚)「オレモ ソウ オモッテイタ。 アシキ カコヲ タチキレルト オモッテイタ」

落ち窪んだ双眸に一層影が差した。

60 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:01:14.20 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「ダガ ソウハ イカナカッタ。 アヘントイウ イマイマシイ クサリハ ツナガレタ ママダッタ。
     アルヒ マチナカニ カイダシニ イッタトキ スウニンニ コエヲ カケラレタ。
     ダンナカラ アヘンヲ ウケトッテイタ ヤツラ ダッタ」

( ^ω^)「どうしてあんたが使用人だって割れてたんだお。
      和蘭人だから? いやいやそれにしたってしらばっくれてればいい話だお。証拠がない」

( ゚∋゚)「オレモ ナンドカ アヘンノ モチハコビ テツダワサレタ コトガ アッタ」

(;つω^)「あちゃあ……」

内藤は顔の右半分を手の平で覆った。
この先クックルが語るであろう事の顛末に、希望の二文字は見えてきそうになかった。

( ゚∋゚)「レンチュウハ アヘンヲ ホッシテイタ。
     カネハ イクラデモ ダスカラ ウレト オレニ タノンデキタ。
     サイショハ コトワッタ。 シツコク イイヨラレタガ イチド ニラミヲ キカセルト イチジハ ダマッタ。
     ダガ シュウダンノ ナカノ ヒトリガ コウ イイダシタ。
     『シッテイルゾ オマエガ ツカエテイタ バイニンニハ ムスメガ イル』ト」

61 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:05:31.85 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「ツンの存在を知られていたのかお?」

( ゚∋゚)「ソウ。 ドコデ ニュウシュシタ ジョウホウカハ ワカランガ……。
     トモカク ソノオトコハ ツヅケテ コウイッタ。
     『ソイツヲ ミステルカ クスリヲ ウルカヲ エラベ。 ウルナラバ ワレワレハ ナニモ シナイ』」

( ^ω^)「そんなのまともに相手する必要ないお。
      別にあんたなら片手でもやっつけられるじゃないかお」

しかしクックルは首を左右に一往復だけ振った。

( ゚∋゚)「アヘンヲ ダンナカラ ウラレテイタ ニンゲンハ オドロクホド オオカッタ。
     ナカニハ カタナヲ サゲタ ヤツラモ マジッテイタ。
     イクラ ナンデモ トトウヲ クマレテハ ヒトリデ シカモ スデダト ジカンガ カカリスギル。
     ヒトリヒトリ アイテスルマニ オジョウ ムボウビニ サラサレテ シマウ」

(;^ω^)「それじゃ……」

( ゚∋゚)「シタガワザルヲ エナカッタ。
     オレハ ダンナガ ノコシタ ハタケデ ケシノ サイバイヲ ハジメタ」

内藤は歯噛みする。
背に腹は代えられぬ。苦渋の選択だったに違いない。

63 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:08:10.92 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「ツンは、阿芙蓉のことは」

( ゚∋゚)「オシエラレル ハズガ ナイダロウ
     アノコハ オレガ ナニヲ シテイルカ リョウシンガ ナニヲ シテイタカ クワシク シラン。
     ソレデ イイ。 シラナイ ホウガ ヨイコトダ」

賢明な判断であるように思う。
この汚濁した真相を知るにはツンはいくらなんでも幼すぎる。

( ^ω^)「そうだ、只今ツンは何をしているんだお。返事がなかったけれども」

( ゚∋゚)「タブン マダ ヒルネヲ ツヅケテイルノ ダロウ。
     モウ オキタカモ シレンガ オレガ ミズヲ クミニ イクマエニ ネカシツケテオイタ。
     サクヤハ オソクマデ カキトリノ トックンヲ シテオッタ カラナ」

( ^ω^)「はあ、そりゃあ……殊勝なことだお」

そこで収まり悪く途切れる。
強引な世間話はその場凌ぎでしかなかった。この期に及んでは何の効力も示さなかった。

クックルの独白が再開された。

64 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:10:55.95 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「ソノゴハ サラニ クロウガ ツヅケザマニ ヤッテキタ。
     アヘンヲ カウカネガ ナク オジョウノ ユウカイヲ タクラミ オドシヲ カケテクル モノモ イタ。
     ダンナノ アヘンニ ジンセイ クルワサレ サカウラミ シテクルノモ イタカ」

そこで内藤は、はっとした。
だが、間髪入れずにクックルが二の句を継いだので、その直感は一度白紙に戻された。

( ゚∋゚)「モットモ ソノテノ ヤカラハ ハミダシモノダ。
     カナラズ ヒトリデ クルカラ ミナ クビノ ホネヲ ヒネリツブシテ ヤッタゾ」

ぞっとする。内藤は血の気の多い話はどうにも苦手である。

( ^ω^)「用心棒的なこともしている……成程そういう次第かお」

( ゚∋゚)「オジョウノ オモリハ モトモト ダンナカラ イワレテイタ コト ダカラナ」

クックルは徐に骨を鳴らしながら指を曲げていき、そうして作られた岩めいた拳骨を見つめて、

( ゚∋゚)「トハイエ イツマデモ ウマクイクトハ カギラナイ。
     オレノメガ トドカヌ ウチニ イツ オジョウニ マノテガ ムカウカ ワカラナイ」

内藤の心臓が引っくり返りそうな勢いで躍動した。まさに自分のことである。

65 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:14:10.99 ID:SMLxKvOy0
幸いにもクックルが答弁に全意識を傾けていたおかげで様子の変化には勘付かれていない。
落ち着いて質疑に戻る。

( ^ω^)「それで……どうしたんだお」

( ゚∋゚)「イロイロ クシンシタ。 ソシテ タドリツイタ。
     コノ マチハズレニ アル ヤシキノ ナカコソガ イットウ アンゼンナ バショダト」

( ^ω^)「じゃあ、ツンが家から出なくなったのは……」

( ゚∋゚)「オレノ イイツケダ」

クックルはそう断言した。力強くさえあった。
だが内藤は、やっと謎のひとつが解明したというのに、どこかクックルの発言に腥さを感じていた。

( ^ω^)「言い付けね……失礼だけど、
       あんたのお嬢様はそれで大人しく我慢できるような子とはとても思えないお。
       ツンは純粋な女の子ではあるけど決して素直な性格じゃあない」

( ゚∋゚)「ソレハ オレガ イチバン ヨク ワカッテイル。 クスリヤヨ」

声の調子が一段と低くなった。腹底に響く声音である。

66 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:17:34.69 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「ナゼ オクガタハ イエスノ オシエヲ モノゴコロモ ツイテイナイ オジョウニ サズケル コト デキタカ。
     ソレハ オジョウガ マダ ナニモ シラナイ マッサラナ ジョウタイ ダッタカラダ」

( ^ω^)「そりゃあどういうことだお」

捩じれているようにしか聞こえぬ。

( ゚∋゚)「ニンゲンハ オオクヲ ヨウショウキニ ミニツケル。
     ソシテ タッタ イチドノ タイケン ヨリモ フクスウカイニ ワタル タイケンノ ホウガ コウカガ アル」

遠くで鐘の音がした。
ここまで聴こえるものなのか。

( ゚∋゚)「オクガタハ ソレヲ シッテカ ハヤイ コロカラ セイショヲ ヨミキカセテイタ。
     コレヲ ミナラッタ。 オナジ ヨウリョウデ オサナイ オジョウニ ソトニデルナト イイキカセ ツヅケタ。
     デルナ デルナト クリカエシテ イタラ オジョウハ ソレガ フツウダト オモウヨウニ ナッタ。
     カコニ スウカイ ジタクカラ ハナレタ トコロマデ イッタ タイケンヲ オジョウハ モッテイガタ
     ソノキオクモ ドウヤラ ウワガキ スルコトニ セイコウシタヨウダ」

(;^ω^)「そっ、それは」

横暴だ――そう返したかったはずなのに、不可思議なことに内藤は頷いてしまっていた。

67 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:20:20.90 ID:SMLxKvOy0
クックルの論調は、先程の「親がいない寂しさを知らずに済む」という理屈とも合致している。

別れを体験したとしても、両親がいることよりいないことが当たり前という体験のほうが、
多感な時期に圧倒的に上回っていれば――意味がよく解らぬままでいれば――悲しみは花を咲かせない。
永遠に種のままであり続ける。

察するにクックルもその歪な常識の形成に加担したのだろう。

( ^ω^)(別に特殊なことじゃない、とでも説得していれば、もう保険としては十分なくらいだお)

それにツンは屋敷に張り付いているのだ。
滅多に人と触れ合わないのであれば余計な口出しをされることもない。

内藤にも身に覚えがある。
自分は幼い頃に母との死別を体験した。
けれども当時は、死という概念も離別という概念も難解すぎてどう解釈していいのか分からなかった。
ただ漠然とした喪失感に心が満たされていたばかりであった。

『死んだ』という『いなくなった』ということへの哀切に過ぎなかったのかも分からぬ。

後に、父の口から説き明かされたことによって初めて母の殺害事件は忌々しい記憶として刻印され、
そして長岡への恨みが芽生えた。

69 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:24:28.42 ID:SMLxKvOy0
(;^ω^)(……僕のことは後回しでいいお。今はそんな場合じゃない)

内藤は咳払いをして場を仕切り直してから、

( ^ω^)「それなら、ツンが自分からも外出しようとしないのは、あれはどういうことなんだお」

( ゚∋゚)「ソレハ ギャクニ タイケンガ マッタク ナイカラダト オモウ。
     ダレダッテ ミチノ モノゴトハ オソレル モノダ」

( ^ω^)「だけどツンは僕から町の情勢を聞きたがっていたお」

( ゚∋゚)「コレハ オレノ スイソク ダガ
     ジッサイニ タイケンスル コトハ コワクトモ ギジタイケン ナラバ ヘイキ ナノデハ ナイカ。 
     シラナイ タイショウハ キョウフデモ アルガ オナジクライ キョウミブカイ モノダ」

( ^ω^)「なんとなくだけど分かる気がするお。
      けれども昔から百聞は一見に如かずと言うお。
      ツンも僕の話を聞くだけじゃ満足してないはずだお。そのうち――」

( ゚∋゚)「ダカラ ホントウハ オマエガ オジョウニ マチノ ヨウスヲ カタッテ キカセルノモ トメタカッタ。
     イズレ マチナカヘ イキタイト オモウヨウニ ナルノデハ ナイカト……。
     シカシ デキナカッタ。 オジョウノ ヒトミノ カガヤキ ミテシマウト ドウシテモ タメラワレタ」

70 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:26:02.30 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「そこまでツンのこと想うなら、少しの譲歩ぐらい見せてあげてもいいんじゃないかお。
      僕が付き合った限りじゃツンは明らかに外の世界に興味を抱いているお。
      大体にしてあんたが傍にいてやれば大丈夫だお!」

( ゚∋゚)「オジョウヲ キケンニハ サラセナイ。 スコシデモ カノウセイガ アルノ ナラバ」

(;^ω^)「でも、でもそれは――」

内藤は何かしら主張しようとする。
だがしかし、クックルの次の一言によってその意思は掻き消された。

( ゚∋゚)「オジョウヲ マモルコト コソガ オレノ ヤクメダ」

太い、芯のある声である。
内藤は出かかっていた言葉を無理矢理に嚥下する他なかった。

確かにそれが最善の策なのだろう。
幼い主の身を案ずる、愛情と呼んでもいいくらいの忠誠心からくる決断だということは、痛いほどによく解る。

それに――クックル自身が最も頭を悩ませたに違いない。

だから黙らざるを得なかった。

72 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 21:30:17.22 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「コウスルシカ ナカッタ。 ホカニ ミチハ ナイ。
     モシ アルノデ アレバ オシエテホシイ。 ソノタメナラ オレハ ナンデモ スル。
     ナンデモダ。 オジョウヲ ホゴ デキルナラ ナンデモ」

そこで時は凍結する。
クックルと内藤は対峙したまま一歩も動くことなく、一時も休まることなく、揃って立ち尽くしていた。

何よりも無言であることが内藤には堪えた。
しかし口腔内は粘ついていて、声を発そうにも上下の唇はぴたりと張りついてしまっている。
一切意図しておらずとも自分の潜在意識がそうさせている。

重苦しい。息が出来ない。
息をするには――口を開かねばならぬ。

( ^ω^)「……あんたも……あんたの主人も、神仏に仕える敬虔な切支丹じゃないかお」

四方八方からの圧力に全身押し潰されそうになっていた内藤が、
呼吸から得た着想によってようやく喋る機会を手にした。

( ^ω^)「教えに背いてるという意識はなかったのかお」

( ゚∋゚)「セイギニ ノットッタ オコナイナラ カミハ ユルシテクレル」

( ^ω^)「正義だって? アヘンを売ることのどこに正義があるんだお!」

75 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:03:32.89 ID:SMLxKvOy0
( ゚∋゚)「ノガレラレヌ カミノ シジ ナノダ。 オジョウ マモル タメニハ ソウスルシカ ナイ。
     コレヲ セイギト ヨバズシテ ナント ヨボウカ!
     オレハ ココニ イタルマデノ ナリユキヲ オレニ サズケラレタ ウンメイダト オモッテイル。
     ウンメイニ マチガイハ ナイ。 アラガウコトハ デキン」

声質のせいか、はたまた信念の強さのせいか、一言一句に異様な説得力が封じられていた。

正義の対極は悪ではあらぬ。
たとえ盲信に近かろうと、己が真実正しいと信じているのであればそれは正義である。
正義は無数にある。

その通りなのかも知れない。
だけれど。

( ^ω^)「……屁理屈だお! 過ちは過ちでしかないんだお!」

内藤はまた感情的になっていた。

――我々は悪行と重々承知して動かねばならぬ。
――たとえ己の正義に基づく行為であっても、我々がこの先為すべき所業は誰にも許されぬ。

いつか耳にしたギコの言説が脳裏にこびりついて離れない。

79 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:11:18.29 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「あんたがしている行為が悪事であることに変わりはないお」

( ゚∋゚)「ソンナコトハ ショウチ シテイル。 シカシダ!」

そこで大きく吠えた。鬱積した想いを一気に吐き出すかのような咆哮であった。
大気が振動する。
森が鳴く。
踏み締められた地面が僅かに揺れる。

内藤は気圧される。
立っていることがやっとになる。

( ゚∋゚)「ソレガ オレト オジョウノ ウンメイ ダッタノダ!
     オレガ ダンナニ シタガウト キメタヒカラ!
     オジョウガ ダンナノ ムスメニ ウマレタヒカラ!
     スベテハ コウナルト イマニ ツナガルト キマッテイタ!
     コレガ カミノ サダメタコトデ ナイトシタラ イッタイ ナンダト イウノダ!」

口角から飛沫を散らしながら叫んでいた。
慟哭とそう変わらぬ、鼓膜を裂かんばかりの絶叫である。だけれども――。

仮に裂けたとしても聴こえていた。

そんなふうに感じさせられた。

83 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:15:29.85 ID:SMLxKvOy0
クックルが吐露した言葉には、憤激や悲愴等の痛々しい感情が充満していた。
拙い日本語であるにも拘わらず、これ以上に壮絶な贖罪が存在し得るのかというほどに直情的に伝わった。

きっと、そう思い込まなければ精神状態を保っていられなかったのだろう。

『自己正当化』や『開き直り』といった一言で片付けることは、クックルの半生を追体験した内藤には到底出来ぬ。
そんな卑小なものではない。
アヘン売買の誘惑に屈した主に仕え続け、彼らが去った後もその子であるツンの用心棒として守り続け、
そして自らも芥子繁殖の沼に浸からなければならなかった、尨大な苦悩に満ちた歳月。

彼の心中を慮るだけで胸に疼痛が刻まれる。

そう思うとやり切れなかった。
内藤は自分が述べるべき見解を喪失した。

( ゚∋゚)「イクラデモ ケイベツ シテクレテ カマワナイ。
     ユルシテクレ ナドトモ タノマナイ。
     タダ アヤマチデハ アッテモ アヤマリダトハ オレハ オモッテナイ。
     オレハ――オレガ ヤッテキタコト ヒテイ サレタクナイ」

クックルは憔悴した面持ちでそう言った。

85 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:19:14.12 ID:SMLxKvOy0
どうにも応えられなかった。
責めようがない。自分は彼を糾弾できるだけの器ではない。
代わりに、要らぬ世話に過ぎないのだろうが、同情の念が沸々と湧いてきている。

( ^ω^)(クックル……)

これが運命だったとして、この和蘭から来た男は心の底から諦め切れているのだろうか?

自分を犠牲にして、一人で罪を被って。
見返りもなく、
礼讃もない。
それが運命なのだとしたら、あまりにも――悲惨すぎるではないか。

何か、僅かばかりの労いの言葉でも掛けてやることが出来れば――。
そうは思っている。
だが、それすら実行できぬ。己の無力と情けなさに恥ずかしくなる。

( ゚∋゚)「……サイゴニ イワセテ ホシイ」

応答も待たずに悲運の男は繋いだ。

( ゚∋゚)「オレハ ダンナヲ イマデモ ニクンデナド イナイ。
     ソウナラザルヲ エナカッタノダト オモッテイル。 ソレモマタ ウンメイダッタト」

87 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:23:53.24 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「……そうかお」

相槌が精一杯である。一刻も早くこの不安定な結界の外側へと出たかった。

( ゚∋゚)「ソレカラ クスリヤ コノコトハ――」

( ^ω^)「分かってるお……誰にも告げたりやしないお」

( ゚∋゚)「スマン。 カンシャスル」

大入道は内藤の目線の高さよりも更に低くまで頭を下げた。
そうして数瞬の間平身低頭 し続ける。
長く視線が合うことはなかった。抜け殻になった内藤は虚ろな目で彼方を見つめているだけであった。

( ^ω^)「誰にも……」

だが口とは裏腹に、内藤は霞んだ頭で別のことを考えていた。

ギコだ。
ギコに会って問い質さねばならぬ。

88 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:29:00.47 ID:SMLxKvOy0



( ^ω^)「これはどういうことだお」

約束の日取り通りに現れたギコに、内藤は珍しくも強気に尋問していた。

両者は客間の囲炉裏を囲んで座している。
ただ唯一差異があるとすれば、胡坐を掻いた内藤の膝近くに、
クックルから口止め料代わりに押収した芥子の実が三個、微妙に揺れながら転がっていることである。

( ^ω^)「ギコさんはこのことを初めから知っていたんですかお。
      だとしたら……ツンを狙う動機がこれに秘められていたりするのかお」

囲炉裏火の向こうでギコは沈黙を守り続けている。

ギコは前回よりも更に痩せていた。
骨が浮いて窪んだ頬には、染みと見間違えそうになるほどに昏い翳りが溜まっている。
呼吸する息遣いも蚊の羽音めいていてはっきりと聴こえてこない。
飢餓下の野犬のようである。

しかしながら刃物じみた眼光だけは失っていない。
それが薄気味悪かった。

89 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:35:36.89 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「……」

家主はひたすらにギコの返答を待っていた。

先日の出来事の一部始終をギコに語り聞かせた。
クックルへの裏切りとなる行為に幾らか胸が痛んだが、それよりも重大な問題であると判定した。
今訊いておかねば、先には進めぬ――と。

(,,゚Д゚)「……」

ギコは延々考え込んでいた。
目線は一定である。
内藤を見ていない。その背後の辺りに視点がうろうろと漂っている。
己の内側に解答を求めているのか、それとも既出の結論を言い澱んでいるのか、はっきりとせぬ。

(,,゚Д゚)「そ……か……成程……のよ……な……理……で……」

時折ぼそぼそと聴き取れぬ程度の音量で呟くが、
小声な上に自己完結した抽象的な言葉しか漏らさないために端数としか勘定できない。

火の粉が爆ぜる音のみが鳴っている。
今宵は月のない夜であった。やや開いた障子窓の隙間からは深い闇しか覗いていない。

90 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:44:07.85 ID:SMLxKvOy0
(,,゚Д゚)「内藤」

長い黙りに幕を引き、ようやくギコが重い口を開けた。
あまりにも時間を要する長考だったので、内藤は炭を継ぎ足して火を補充しなければならなかった。


(,,゚Д゚)「全てを貴殿に語ろう」


そう言った。

内藤は動揺の気配を微塵も見せない。
疾うに覚悟は決まっていた。

(,,゚Д゚)「恐らくは……もう既に……貴殿は連中に感情移入してしまっている。
    今更話してしまっても構うまい」

悩みに悩んだ末なのであろう、葛藤がこちらにも伝わってくるような、甚く苦々しい顔つきである。
内藤は否定も肯定もしなかった。ギコの口上に専心していた。

(,,゚Д゚)「――華陀の名を知っているか」

92 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 22:48:34.83 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「カダ? 申し訳ないけど、何のことですかお?」

(,,゚Д゚)「知らぬか……まあよい。さして障りはない。
    華陀とは後漢時代の医師だ。薬事や鍼灸にも聡かったとも伝承されている」

( ^ω^)「医学方面の人なんですかお? ううん勉強不足だったお」

(,,゚Д゚)「そう悄然するでない。学術的見地からの知名度は然程でもないからな。
    両巨頭たる耆婆扁鵲と比較するとどうしても後世の影響度は劣る」

( ^ω^)「でも書物があれば僕は参考に出来ますお。先人の知恵を吸収しておきたいですお」

(,,-Д-)「残念だがそいつは無茶な要望だ。
    華陀の医学書は皆焼却されている。晩年華陀は投獄され、酷い迫害を受けていたそうだ」

淡々とした口調でギコは続ける。

(,,゚Д゚)「華陀は歴史上初めて、麻酔を用いた外科手術を行った人物であると俗に言われている。
    特に有名な華陀の逸話が美髯公関雲長の手術を手掛けたことだ。
    もっとも、どこまでが虚でどこまでが実か判らぬ話ではあるが」

単なる行商人には皆式解らぬ。

94 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:10:18.06 ID:SMLxKvOy0
ギコは放心する内藤を尻目に、

(,,゚Д゚)「樊城の戦場にて、美髯公は油断からか矢の襲撃を受けてしまう。
    鏃には鳥兜の毒が塗られておった。貴殿も知っているであろう猛毒植物だ。
    兵一万に値する猛将として世に名を轟かせていた戦神美髯公も、流石に毒気には勝てない。
    その窮地を救ったのが前述の名医華陀だった。
    しかしこの際、美髯公は麻酔を使わず手術を施すことを要求したという。いやはや剛胆な男よ」

(;^ω^)「あの……それが何かギコさんとツンの因縁に関係あるんですかお」

堪らず内藤が口を差し挟んだ。
大人しく耳を傾けていたが、ギコがどうも遠回しな言い方をしている気がしてならない。

(,,゚Д゚)「そう慌てるでない。ここからが肝要なのだ。
    さてその華陀だが、患者が皆美髯公のような豪の者というわけにもいかぬゆえ、
    平時の手術には鎮痛手段として特製の麻酔を使用していた。
    そこにおいて華陀が製造していた麻酔薬は『麻沸散』と呼ばれる代物であった」

( ^ω^)「それが、何か……?」

(,,゚Д゚)「麻沸散はアヘンから作られたと伝えられている」

(;^ω^)「ッ……!」

96 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:16:51.21 ID:SMLxKvOy0
水月を突かれたかのような鈍重な衝撃が内藤に走った。
束の間の沈黙。やがてギコが、先程までより少々湿っぽくなった声色で語り始めた。

(,,゚Д゚)「――俺には友人がいた。名をフサといった」

( ^ω^)「過去形、ということは……」

(,,゚Д゚)「もうこの世にはおらん」

ギコは中央の火を睨んでいた。
いずれ消える儚さを旧友に重ねているのかも知れない。

(,,゚Д゚)「昔話だ。十三で家を出され、十六で奉公先から逃げた俺は、根城も定めぬ行脚の旅に出ていた。
    だが所詮若輩物、刀を提げているだけで、碌に銀刃を振るう腕もなかったから、
    剣客として雇われることもなくすぐに有り金が尽きた。
    俺は危惧した。このままでは無用の長物になる――とな」

( ^ω^)「全然刀を扱えなかったんですかお?」

(,,゚Д゚)「いやいや、無論丁稚に出される前は剣道を習っていたから多少の心得は予々持っていた。
    とはいえ元服も迎えておらぬ齢の頃の話だ。
    真剣なぞ持てるはずもなく、精々基礎程度しか身に付いておらんかった。
    おまけに長い奉公暮らしのせいで大分鈍っていた。このぐらいの未熟な練武で世は渡れぬ」

98 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:22:45.70 ID:SMLxKvOy0
要は刀を所持している以外裸一貫に近かったのだろう。

(,,゚Д゚)「そこで俺は剣術道場の門を叩いた。どこの領地かも解らぬ場所でな。
    流派などという形式ばったものはどうでもよかった」

内藤は囲炉裏の灰を掻き混ぜながら聞いていた。

(,,゚Д゚)「どうやら俺は筋が良かったらしくてな、指南役に気に入られて住み込みで剣を磨けと誘われた。
    寝床がある、しかも剣術を学べるということで、俺は喜んで暫しの間厄介になることになった。
    そこにいた門下生の一人がフサだった」

そこまで語るとギコは、一息をゆったりと吐いた。

(,,゚Д゚)「この男、幼き頃から道場に通っているというのに剣の才覚などまるでなく、
    心根が優しいと評せば聞こえはいいが大層軟弱な奴だった。
    訊けば本当は武士ではなく文士になりたいのだという。
    ではなぜ道場通いを続けているかと訊けば、士分に列する家系ゆえ致し方がないのだという。
    家に背けず、夢も捨て切れない。
    優柔不断が過ぎる。俺は当初は――侮蔑していた」

侍は幽かに笑った。逸れた火の粉がぱちりと音を立てて舞った。

100 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:27:32.29 ID:SMLxKvOy0
(,,゚Д゚)「だが腹を割ってよしみを通じてみると、決して悪い男ではなかった。
    むしろ好感の持てる人柄であった。軟派ではあったが決して見栄を張るような小物ではない。
    元来己の力量に自信がない輩ほど自分を大きく見せようとするものだ。
    フサはこの事象に当て嵌まらない。己をよく知り、他者への配慮を忘れぬ――フサはそういう男だった。
    自らの弱さを認めたならばそれは強さである。
    俺はフサこそ敬意を払うべき人物だと認識を改めた。以後、俺たちは親友として交わった」

( ^ω^)「親友、ですかお」

(,,゚Д゚)「歳が近かったこともあってか仲が深まるのにそう多くの月日は要さなかった。
    いつの間にか俺は、フサが隣で笑みを湛えているだけで、安らぎを感じるようになっていた」

ところがだ、とギコは加える。

(,,゚Д゚)「どうにもフサは体力のない奴でなあ。
    頻繁に体調を崩しては稽古を休み、その都度俺はフサの自宅へと見舞いに出向かねばならなかった。
    これは聞く限りでは生来のものらしい。文士を志望していたのもそのせいだったのかも知れぬ。
    剣武の才も、ただ研磨する時間が足りなかっただけで、本来ならば十分に有していたのかも分からぬ」

聞き手の内藤は談話の合間合間に適度に頷きを返すのみであった。
未だに全貌は明らかにはなっていない。

103 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:32:31.69 ID:SMLxKvOy0
(,,゚Д゚)「ある日――俺が道場の壁に名を連ねて二年余りが経過した頃だ。
    その時期になると最早俺は師範から教わる技巧など何ひとつ無くなっていた。
    もう長居する理由はない。いつでも荷をまとめて旅立てる状態にあった。
    けれども中々切っ掛けが掴めずにいた。
    今だからこそ言えるが、全てはフサと離れることを恐れていたせいだろう」

( ^ω^)「そんなに仲が良かったんですかお」

(,,゚Д゚)「まあな。いや、話が逸れた。修正しよう。
    とにかく、その頃の某日の話だ。
    その日も俺は朝から道場で鍛錬に励んでいたのだが、巳ノ刻を過ぎてもフサが顔を出さない。
    さては、また熱にでも魘されているのか、と案じ、俺は稽古を切り上げて見舞いに行ったのだが、
    どういう所以かフサの母上に面会を断られてな」

その時点でよくない兆しを感じ取ったらしい。

(,,゚Д゚)「必死に拝み倒してなんとか寝室に通してもらったのだが、そこで俺は言葉を失うことになった。
    フサは――苦悶の表情を浮かべて倒れ込んでいた。頭を抱えて転がりながら。
    どうも激しい頭痛に苛まれていたらしい。
    安静に寝ているとはとても呼べない。呻き声と歯軋りが交互に繰り返されていた。悲痛だったよ。
    前日の夕暮れ時からこうだという。医者も呼んだがお手上げだったそうだ」

(;^ω^)「奇病の類でしたのかお? それは大変だお……」

105 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:37:44.26 ID:SMLxKvOy0
(,,゚Д゚)「相当の難儀だった。それでも俺は無二の友人を救いたかった」

語調がぐんと熱くなった。

(,,゚Д゚)「まず、腕の良い医者を探した。けれど近辺でそのような人材は見つからない。
    かろうじて人伝に名医の噂だけは聞くことが出来たが、運悪く遠国の話だ。
    絶望しかけた――しかし俺は諦め切れず、藁を掴む想いで噂に賭けることにした」

( ^ω^)「それじゃ、その人の所に赴いたんですかお?」

(,,゚Д゚)「うむ」

( ^ω^)「一体どこにそんなお医者様が」

少し考えてから、

(,,゚Д゚)「それは……北方だ」

( ^ω^)「ギコさんはそんなとこまで歩いていったんですかお」

(,,゚Д゚)「そうだ。果たして風の噂は真実だった。俺はその地でモララーという医者に会った。
    こいつがまた奇人で一貫文の束などより珍しい病に興味を示すという男だったわ」

(;^ω^)「また怪しい人だお……」

108 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:42:58.83 ID:SMLxKvOy0
内藤が脳内で描いたモララーは、常に千鳥足でそこら中を徘徊する酔狂な中年男性であった。

(;^ω^)(もちろんそこまであからさまな変人じゃないんだろうけど)

(,,゚Д゚)「モララーにフサの症状を話すと、奴は瞬間的にそれは危ない、直ちに切開手術が必要だと答えた。
    理由を尋ねると頭蓋の中に出来物が生じているなどと抜かす。
    最初はふざけているのかと思った。俺はそのような病気は聞いたことがなかったのでな」

( ^ω^)「自然な反応ですお」

(,,゚Д゚)「だが専門家が本気の眼差しを送ってくるのだから間違いないのだろう」

ギコはモララーに対して割り方信頼は置いていたようだ。

(,,゚Д゚)「ところがフサは体が弱いとも教えると、医師は表情を曇らせた。
    仮に施術が成功したとしても体力が低ければ痛みに耐えられず死に至る可能性があるという」

( ^ω^)「……」

(,,゚Д゚)「俺は相手の胸倉を掴みそうになるのを懸命に抑えつけた。そんなことをしても無為だと判っていた。
    代わりに、なんとかならぬかと頭を低くして頼み込んだ。
    するとだ、モララーは麻酔を試せば或いは、と提案してきおった」

111 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:48:51.72 ID:SMLxKvOy0
( ^ω^)「ええと、モララーさんに麻酔を使いこなせるだけの知識はあったんですかお。
      いくら名高い医学者といえど麻酔薬は非常に繊細な取扱いが要求されるお」

(,,゚Д゚)「いやなかった。だがモララーは、約一名ほど心当たりがあると俺に告げてきた。
    隣国に、薬学を専門に学んだ和蘭人がいる、とな」

( ^ω^)「ああ――」

そう――繋がるのか。

(,,゚Д゚)「実際に会いに行った。そう遠い距離でもない、然したる労苦にはならぬ。
    しかし男は一切自分自身のことを語らなかった。
    薬のことは訊いてもいないのに好き放題のんべんだらりと解説してくるにも拘わらずだ」

この人物こそがツンの父親なのだろう。

(,,゚Д゚)「京では華岡青洲という医師が麻酔の開発に取り組んでいるという情報は聞いておった。
    だがこの外国人も和蘭仕込みの麻酔を完成させていると高々と主張する。
    身分も身元も、それどころか実名すら明かさぬ人間の言うことだ、
    異常な胡散臭さではあったが、ここから更に京都に向かうとなると途方もない時間を要する。
    その間にフサの病状が悪化する可能性がある。
    仕方なく俺は妥協半分で了承した……するしかなかった」

114 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/16(日) 23:57:20.13 ID:SMLxKvOy0
ギコの唇が震えていた。
回想する中で、初めて不快感が表面に出ていた。
明らかにツンの父親に対して並大抵ではない想いがあることが窺える。

(,,゚Д゚)「俺は名も知らぬ和蘭人を連れ立って、更に道中モララーと合流し久方ぶりにフサの元に戻った。
    フサも外科手術を了解してくれた。頭痛は日増しに酷くなる一方だったらしい。
    すぐにでもこの苦しみから解放されたかったのだろう」

(;^ω^)「それで……結果は?」

(,,゚Д゚)「成功したとも失敗したとも言い難い。完治とはいかなかったからな。
    ひとまず執刀したモララーと投薬を担った和蘭人にはフサの家族から十分な謝礼が支払われた。
    和蘭人はその後も暫く町に留まっていたがな。
    だが頭部の痛みは緩和されたことは確かだ。それだけは間違いなく言える」

( ^ω^)「ほっ、それはよかったですお」

胸を撫で下ろす。
が、すぐに腑に落ちないある一点に気付く。

( ^ω^)「……ん? でもそれだと、皆が幸せでおしまいって結末じゃないですかお?」

(,,゚Д゚)「話はここで終わりではない」

115 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:05:28.98 ID:aWtjzP/x0
ギコが張りのない調子で言った。

(,,゚Д゚)「その手術で酒と共に使われた麻酔薬は――麻酔とは名ばかりの単なるアヘンだった」

(;^ω^)「な……」

内藤は失語した。
それはつまり、ツンの両親が屋敷を離れた後もアヘンを精製し続けていたことの証明でもあった。

(,,゚Д゚)「華陀の麻沸散はあくまでアヘンを元に作られた薬品だ。
    しかしあの野郎は純然たるアヘンそのものを麻酔として用いていやがった!」

(;^ω^)「どうして……そのことが……判ったんですかお?」

力なく問うた。

(,,゚Д゚)「フサの部屋からアヘンと思しき粉末の入った缶を発見したのだよ。
    問い詰めると、例の和蘭人から購入したと白状した。
    術後、これを用いれば頭痛は治まるなどとたぶらかされて数回に渡り買っていたらしい。
    道理で役目が終わったのに妙に長いこと滞在し続けていたと思ったわ、あの下衆が。
    端からこれが狙いだったのだ。手術を口実にアヘンを投与するというな。
    おそらくは過去にも似たようなことを行っていたのだろう」

吐き捨てるようにギコは言う。

116 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:09:15.70 ID:aWtjzP/x0
(,,゚Д゚)「フサは……アヘンを吸入している間の幻覚を忘れられなかったようだ。
    未来ある若人がアヘンに溺れるようになってしまったのだ。
    ただあの男の金儲けのためだけに」

(;^ω^)「……」

そこまで――彼らは堕ちていたか。

惨すぎる。適切な科白が出てこなかった。

(,,゚Д゚)「薬が切れている間のフサは酷い有様だった。当然剣術道場になど来るわけもなく、
    一日の大半を半狂乱状態で過ごし、アヘンの力を借りないとその症状は治まらなかった。
    俺は悲しかった。穏やかだった親友の、そんな姿を見続けることが。
    そして同様に、いやそれ以上に、フサも苦しんでいた」

ギコは膝に握り締めた拳をがんと打ちつけた。
そしてそのまま、拳だけを戦慄かせつつ数寸の間静止した。

(,,゚Д゚)「やがて――フサは首を吊って自害した。
    薬未使用時に襲いかかってくる発作と、自責の念に堪えられなかったのだろう。
    遺書には迷惑をかけてすまない、とだけあった。
    心優しいあいつらしい遺言だった」

118 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:15:57.60 ID:aWtjzP/x0
囲炉裏の炎は放置され消滅しかけていた。
燭台の灯火も随分薄まっている。
油も蝋も炭も薪も、揃いも揃って燃え尽きそうになっている。

月光もない。だから屋敷の中は仄暗さを増していくだけで、明度は復活せぬ。

(,,゚Д゚)「俺は奴を許せなかった。師範に言い置きもせずに道場を飛び出し、単身で和蘭の詐欺師を追った。
    だが消息は捉えられなかった。当然だ。奴らは既に国外へと発っていたのだからな」

(;^ω^)「おっ!?」

内藤は目を丸くした。
ツンの両親はもう日本にはいない――。
ギコが告げたこの新たな情報は、まさしく青天の霹靂であった。

(;^ω^)(それじゃ、ツンは完全に見捨てられたのかお?)

思考を沈着させようとするが、語り部である浪人は待ってくれない。

(,,゚Д゚)「俺は煩悶した。この怒りをどこにぶつければいいのだ――とな。
    だが一本だけ道があった」

次にギコがどう続けるかは、内藤にもなんとなくではあるが解った。
解っているのに、聞かされるのが怖かった。

119 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:22:06.86 ID:aWtjzP/x0
(,,゚Д゚)「俺は奴らの親類がこの国にいるかどうかを己の脚で調べることにした。
    存在せぬかも知れんと頭では理解していながらもな。
    我武者羅だった。それだけに人生を捧げたようなものだ。
    旅先でやった剣客商売は全て目的を達成するまでの前座に過ぎん。
    そうしてようやく、ようやくだ、ここ備富町に連中の一人娘がいるという情報を掴んだ」

( ^ω^)「それは、どういう意味で……」

(,,゚Д゚)「決まっておるわ。俺はこやつに多大な憎悪の念を向けたのだよ。
     あの悪魔どもの血を引く娘なのだぞ」

(;^ω^)「えっ、じゃあ、それなら、ギコさんの動機は、
      『親の代わりに、子を殺して無念を晴らしたい』ってことなんですかお?」

(,,゚Д゚)「そうだ」

(;^ω^)「ツン自身には……全く落ち度がないってことだお」

(,,゚Д゚)「そうだな」

やたらあっさりとした応答である。潔くさえあった。
これより多くの説明などする必要がないということもあるのだろうが、事務的にも程がある。

121 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:28:54.54 ID:aWtjzP/x0
(,,゚Д゚)「その先は……かつて語った通りだ。内藤」

その呼びかけに対しては、瞼が反射的にぴくりと痙攣しただけで、内藤は舌を動かさなかった。
ギコも明確な返事は期待していないふうだった。

(,,゚Д゚)「俺は……憎いのだ。フサを奪った天魔波旬の化身どもめが。斬殺してやりたいほど憎かった。
    しかし遅かった。終ぞ始末することが叶わなかった!
    時を経て親族も見つけたが、そいつの傍らには化物が侍していた。碌に接触も出来ぬ。
    この義憤にどう収拾をつければよいか、俺は一意専心に求め続けた。
    そしてやっと辿り着いた答えが……貴殿に持ち掛けた……交換殺人の計画だ」

内藤は茫然とする。

しかし、解らぬ論理ではなかった。
個人ではなく家系を恨む――家が主体となる時世の流れ上、然程おかしな話ではない。

内藤も、仮に長岡に復讐を行うことが物理的に無理だと判明したならば、

その血筋の人間に矛先を変えたであろう。

だからギコには少なからず共感できた。
こんな気の狂ったことに常識や正論は通用しない。
魂の情動が何よりも優先される。

122 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:36:25.01 ID:aWtjzP/x0
(,,゚Д゚)「以上だ……俺は……俺は全てを……語ったぞ」

ギコは見るからに疲労していた。
吐く息は荒く、肩は不規則に上下している。
眼は充血し赤くなっている。
姿勢は相当悪い。背中がすっかり曲がってしまっている。かろうじて首だけで頭部を持ち上げている。

不憫だった。
この若侍を初めて、警戒心なく見つめていた。

クックルといい、ギコといい―― 一体どれだけの人々が、心の中に深淵を飼っているのだろう。

(,,゚Д゚)「――内藤」

紅の双眼が薬売りを捉えた。

(,,゚Д゚)「この機で述べるのもあれだが……今後為すべき策を伝え置いておく。
    俺は今、夜間辻斬りが出るとの噂を撒いている」

多少威勢は落ちるとはいえ、ギコはいつものような泰然自若とした振る舞いに戻っていた。
幾らか回復している。
内藤はどこか安心する。

124 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:42:48.65 ID:aWtjzP/x0
私情はさておき、浪人は辻出現の風説を流布しているというが、これはいかなることか。

( ^ω^)「嘘の噂を撒くだなんて、なんのためにですかお?」

(,,゚Д゚)「もちろん目くらましだ。ツンを殺した際に誤った犯人像を与えるためのな。
    この架空の人物に責任転嫁してしまえばいい。
    玄人でも獲物の違いを見分けるのは困難だというのに、素人に刀傷なぞ判るはずがなかろう」

(;^ω^)「でもそれは、現場を目撃されたら全部破綻してしまいますお」

(,,゚Д゚)「何を弱気なことを言うか。誰の目にも付かぬ領域に誘い込んでしまえば済むことだ。
    話を聞く限り、貴殿はそれだけの信用を勝ち得ておるであろう」

( ^ω^)「ううん……けど人斬りに襲われた、闇打ちされた、という設定なのに、
      やられたのはツンだけってのは不自然ですお」

不信感は拭えぬ。

(,,゚Д゚)「易いことよ、貴殿も無事でなければいいのだ。
    殺害後自分自身にも匕首で傷を付けてしまえばよい。
    腹の辺りならばそれほどの痛みは生じぬ。骨からも遠く痺れが残ることもない」

一本調子のまま、なんの可笑しみもないかの如く言い切った。

126 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:50:54.24 ID:aWtjzP/x0
(;^ω^)「ちょっ、ちょっと待ってくださいお、それって切腹なんじゃないですかお」

内藤は慌てふためいた。
自傷行為ではないか。流石にそれは抵抗がある。
一方ギコは真顔である。

(,,゚Д゚)「腹を裂いてころりと死ぬ者などおらぬ。
    切腹はあくまで覚悟を示すためのものであって、直接的な死因は断首による介錯だ。
    そもそも深々と内臓に至るまで貫けというわけではない。
    何も致命傷を負えと言っているわけではないのだ。血さえ見せればそれで十二分。
    第一なんのための貴殿の職業だ、鎮痛剤の一つや二つぐらい保持しているだろう」

(;^ω^)「まあ……確かに……」

死人に口はない。ならば自分も被害者を装えば――。

( ^ω^)「……けどそれだけでクックルの奴は僕を容疑から外しますかお」

(,,゚Д゚)「物証も証言も出てこぬのだぞ。あるのは辻斬りが近頃出没しているという偽の伝聞のみ。
    外に連れ出しさえすれば後はどうとでもなる」

( ^ω^)「外に連れ出しさえすれば――」

それが最後にして最大の難問である。

127 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 00:56:19.23 ID:aWtjzP/x0
だがクックルの弱味を握っている。こちら側の無理はある程度許容するはず。
説き伏せることも無謀な挑戦とは最早呼べぬだろう。

(,,゚Д゚)「さて内藤よ、ここからは、俺個人の疑問なのだが」

互いに向き直る。

(,,゚Д゚)「今一度、答えてほしい。
    あの女と用心棒の境遇を哀れに思うか……俺の憎しみを汲んでくれたか……。
    貴殿の天秤がどちらに傾いているか……聞かせてくれ」

ギコは格好のつかない質問を投じてきた。
ある種弱音とも取れる。
理性に固められた以前までのギコの雰囲気とは全く異なった、人間臭い姿を晒している。
それゆえに親身になって考えてしまう。

どちらをとるべきなのか。

( ^ω^)「そんなことは――」

そんなことは――元より決まっている。

129 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2011/01/17(月) 01:00:31.76 ID:aWtjzP/x0
内藤は心なしか俯いていたが、意を決したようにすくと顔を上げ、

( ^ω^)「……ギコさん」

(,,゚Д゚)「ぬ?」

真正面からギコの瞳を見据えた。

( ^ω^)「僕は絶対に、ギコさんの義に背反したりはしないお。
      僕が二人との交流を楽しんでいたことも、同情していることも、全部まるっと認めますお。
      だけど……恩人であるギコさんとの約束が、僕にとっては一番重大なんですお。
      それを今夜再確認した。それだけに過ぎないお」

そして宣言する。


( ^ω^)「ツンを――ギコさんの敵であるツンを僕の手で殺すお」


既に内藤家の宿縁にはギコによって蹴りが付いている。
この先は、自分に与えられた新たな物語なのだ。
 

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