4.流連ノ根
2 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:05:26.07 ID:SRX7PgZQ0
4.流連ノ根


その後も内藤はツン邸に幾度となく通った。

ある時は二日、ある時は三日間隔を空け、またある時は意表を衝き、日を連ねて訪ね歩いた。

引っ切り無しに通い詰めては裏があるかと悟られるかも知れぬ。
かといって規則正し過ぎるのも違和感を与えかねない。
程々がいい。
その按配を見極めつつ、内藤は二人の和蘭人との距離を着実に詰めていった。

ただ――それはツン殺害への下準備という使命感からくる、義務的な行動ではなかった。

楽しいのだ。
またここに来たいと思わせる愉悦があった。
自分がそうしたいからそうしただけだ。

作戦は首尾よく進行していた。

クックルは語るに及ばず、ツンも少しずつ、本当に少しずつだが、懐き始めていた。

内藤には兄弟姉妹はいなかったから、弟や妹のような存在を心の片隅で欲していたのかも知れない。
あるいは父親の心情か。ただし、それにはいささか内藤の歳は未熟すぎる。

3 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:07:18.35 ID:SRX7PgZQ0
ゆえに訪問は苦ではなかった。
苦しみがあるとすればそれはむしろ、ふとした時に少女の結末を想像してしまう、その痛切な瞬間だった。

築き上げたものを自らの手で破壊せねばならぬ。
その決断を迫られることが、気立ての優しい内藤にとって最大の難関である。

ならばいっそ、相互に悪印象を抱き合っていたほうが遥かに楽だっただろう。
だが計画の性質上、そのような関係性の構築は不可能だ。
仮に内藤が心の奥で嫌っていたとしても、相手から嫌われることは解説するまでもなく御法度である。

そのためにどうしても胸が裂けそうになる。

自分を気に入ってくれている人間を、可惜煙たがることなど到底できない。
内藤はそんな性格だった。

元々、人付き合いが好きだった。
ツンとクックルに限らず、この行商人は誰であろうと数回の会話を交わすだけで簡単に打ち解けられる。
類稀な才能だと口々に言われる。だがしかし、当の本人に自覚はない。
それが当たり前のことだと思っていた。

ギコの言う通り、適役だったのだろう。

そして――だからこそ同時に、内藤が情に左右されぬかとギコは案じていたのだろう。

5 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:10:49.12 ID:SRX7PgZQ0
夏も盛りを迎えつつあった、その日。
内藤はツンの屋敷に邪魔させてもらっていた。
宣告通りなら夜にはギコが来る。よって今日が報告前の最後の訪問になる。

( ゚∋゚)「――シカシ オマエハ アセヲ ヨク カクナ。 ミズヲ コマメニ トラント シヌゾ」

( ^ω^)「へえへえ、精々気をつけますお」

この日は珍しく居間に上げられていた。
当然畳の敷き詰められた座敷などではなく、肘掛付きの椅子が並ぶ洋室である。

(;^ω^)(い、居心地が悪い……)

内藤は背凭れのある椅子に座ることに慣れておらぬ。
尻はぴったり付いているのに脚は若干浮いているという、なんとも言い難い奇天烈な感覚である。

まして目の前には机ひとつ挟んでクックルがいるのだ。
着席しているのに山のように大きく、平常とはまた異なる威圧感を放出している。

(;^ω^)(てか今日も長手の黒服……こいつこれしか着る物持ってないのかお)

見ているだけで暑苦しくなる。

6 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:13:26.88 ID:SRX7PgZQ0
ツンはというと、板張りの床に直接敷いた菰に寝そべって、
内藤が手土産に持ってきた張り子の犬を様々な角度から眺めながら弄り倒している。
さながら毛玉と戯れる猫のようだ。
床材は熱を溜めにくい紫檀だから、さぞかし涼しいことだろう。

内藤はそれを羨望の眼差しで見やっていた。

( ゚∋゚)「トコロデ クスリヤ」

( ^ω^)「おっ?」

( ゚∋゚)「セッカク チャト チャガシヲ ダシテイルノニ ナゼ テヲ ツケナイノダ?」

クックルは不満げに言った。
二人が囲っている卓上には、平たい円状の焼き菓子を入れた小箱と、茶の注がれた西洋陶器が置かれている。

茶は、内藤が普段飲んでいるものよりも数段色が濃い。
それに発酵したような匂いがする。
何よりも茶菓子の正体が判らぬ。煎餅のようにも、不出来な人形焼のようにも見えるが、いずれとも違う。

中々手が伸びぬ。

8 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:16:44.36 ID:SRX7PgZQ0
(;^ω^)「いやあ……初めて見るお菓子だからなんだか尻込みしちゃってて……。
      ……というか、それは一体何なんだお?」

( ゚∋゚)「コレハ ビスコイト ダ」

( ^ω^)「ビスコイト?」

( ゚∋゚)「ビスコイト」

鸚鵡返しをされる。

( ゚∋゚)「セイオウノ カシダ。 コムギコニ サトウヤラ ハチミツヤラヲ マゼテ ヤイタ モノダ。
     バアイニ ヨッテハ シオヲ イレル コトモ アル」

( ^ω^)「ほうほう」

材料を聞く限りでは、瓦煎餅みたいなものだろうか――。

( ゚∋゚)「フタツキホドマエ ナガサキデ オランダセントノ ボウエキガ アッタソウダ。
     ソノサイニ イロイロト シイレタラシイ ショウニンガ コノアタリニマデ キタノデ ソイツカラ カッタ。
     ソノ チャモ イッショニナ」

クックルは自己の手元にある茶碗の縁を指で弾く。清澄な高音が響く。

10 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:19:00.62 ID:SRX7PgZQ0
(;^ω^)「二箇月前? 腐ってたりしないのかお?」

渡航期間を考慮に入れると、それ以上の月日が経過しているはずである。

( ゚∋゚)「カナリ ホゾンガ キクカラ モンダイナイ。
     ムシロ テキハ ウンパンジノ ネズミ。 フネノ ナカニ ネコヲ カッテ タイサクスル ソウダ」

( ^ω^)「猫が貿易の手伝いかお。なんとも平和な逸話だお」

想像して気が抜けた。

( ゚∋゚)「サテ ドウスル? マダ セイホウハ デンライ シテイナイカラ タベナイト ソンダゾ」

( ^ω^)「うう、そう言われると俄然興味が出てきたお」

( ゚∋゚)「コレガ ビスコイトヲ クチニ デキル ジンセイ サイゴノ キカイ カモナ」

(;^ω^)「むむ……」

そこまで唆されては内藤としても後には引けない。

( ^ω^)「んじゃ、いただくお」

一枚摘み取り、奥歯に力を込めて齧りつく。

12 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:22:35.03 ID:SRX7PgZQ0
――が、内藤はすぐに口を離し、下顎部を労わるように摩った。

( ;ω^)「か……かたひ……なんじゃこりゃ……」

クックルは片側の口角を吊り上げて、ごく僅かに笑った。

( ゚∋゚)「フフフ。 ソレモ ソノハズダ。
     デキアガリハ ショッカンモ イイガ ジカン タツト スイブンガ ヌケテ ガチガチニ ナル」

(;^ω^)「先に言えお。歯が欠けるかと思ったお」

ビスコイトは齧り取られることなく、内藤の歯痕が薄く残っただけである。
空気が漏れるような音が、鼻声に混じって聴こえる。ツンが込み上げる笑いを堪えている声だろう。

(;^ω^)「煎餅のほうがずっと軟らかいじゃないかお。顎がいてぇ……」

内藤は持ち手付きの陶器を手に取り、痛みを緩和するべく中の琥珀色の液体を飲み干した。

こちらは旨かった。
口に含むとまず芳醇な香りが鼻を抜ける。
喉を通った後は、舌の上に心地よい渋味と苦味、そして仄かな甘味がほんのりと残る。
趣深い味である。気分が沈着する。

13 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:25:41.07 ID:SRX7PgZQ0
( ^ω^)「……はふう」

内藤はひとつ、長息を吐いた。

( ^ω^)「こんな馬鹿みたいに硬いもん、どうやってあんたは食べてんのかお」

食わず仕舞いのビスコイトを、机の角に二度三度叩きつけてみる。やはりびくともせぬ。

( ゚∋゚)「タベテ ミセヨウカ?」

ひとつひょいと摘み取ると、怪力で強引に二枚に割り、半分になったビスコイトを口の中に放り込んだ。
そして噛む。一回噛むごとに凄まじい音が鳴る。咀嚼というよりも、破砕と表現したほうが近い。

(;^ω^)「……よくまともに噛めるお。どんな顎の力だお」

内藤は変に感心する。
そしてまた顎を平手で撫でた。クックルが食べている姿を観望しているだけでずきりとくる。

( ^ω^)「おいしいのかお?」

( ゚∋゚)「イヤ マッタク。 カタイ ダケデ アジハ ヨク ワカラン」

顔色一つ変えていない。クックルは鈍重な挙措で器を持ち上げ、首を後ろに反らし豪快に茶をすする。

16 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:29:13.55 ID:SRX7PgZQ0
(;^ω^)「じゃあなんで食べてんだお。疲れるだけじゃないかお」

全くもって理解不能である。

( ゚∋゚)「シカタナイ。 ボコクヲ オモイダセル タベモノト イッタラ コレグライシカ ナイ」

ふとクックルの瞳に微かな寂寞が浮いた。しかし、その面影すらも即時に消え去った。

( ゚∋゚)「マア ナントナク――ダナ」

そこで結ぶと、クックルは二回わざとらしく咳払いをした。
決まりの悪さを隠しているつもりらしい。
だが時宜をすっかり逃しているために、却って隠そうとしている感情が際立ってしまっている。

( ^ω^)「……ははあ」

内藤はぴんときた。
記憶の片隅に引っ掛かっている。

ツンから聞いた話だと、クックルは自らの主人であるツンの両親に伴われて来日したそうである。
換言すると仕事上の都合だ。故郷の和蘭国を思い出すこともあるのだろう。

17 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:32:32.07 ID:SRX7PgZQ0
( ^ω^)「ってことは、ツンもこのお菓子を好んで食べたりするのかお?」

ξ゚听)ξ「えっ、私?」

唐突に話を振られて、ややツンは驚き、それから上体を面倒臭そうに持ち上げる。
犬張子は横転して眠ったようになっている。
遊び疲れた本物の仔犬のような格好だ。

ξ゚听)ξ「食べるわけないじゃん、そんな石の塊みたいなの」

郷愁の欠片も見当たらない、味気ない返事だった。

ξ*゚听)ξ「私は羊羹みたいなほうが好きー」

( ^ω^)「だと思ったお」

ツンは血こそ和蘭だが日本の生まれである。
ならば己と何ら変わらぬではないか――色素の薄い少女を眺めながら、内藤はそういうふうに考える。

蒔かれた種がどう育つかは根付いた土の質次第である。
品種は違えども、咲き誇る花の美しさに優劣はない。
どう生まれたかより、どう生きたかのほうが、格段に肝要なのだ。

ツンという種はこう育った。ただそれだけの話だ。

19 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:36:03.47 ID:SRX7PgZQ0
ξ゚听)ξ「クックルが偶に、町に出た時に買ってきてくれる水気たっぷりの羊羹がおいしいんだけど、
      すぐ傷んじゃうから買ってきたその日にしか食べられないのよね」

( ^ω^)「ほほー、そうなのかお」

だったら今度、土産に持ってくるのもいいな――。
内藤は密やかにそう思った。

( ^ω^)「ん? そう言えば、この家庭では普段何を食べて暮らしてるのかお?」

只今浮かんだ疑問である。
これまで考えたこともなかったが、月に精々二度ほどしか町に出向かないのであれば、日々の食事に困るだろう。

( ゚∋゚)「ヒモノトカ シオヅケトカ アトハ ヒヤムギダトカ ソノヘンノ ナガモチスル モノ カッテクル。
     ソレト ハタケデ トレタ ヤサイダナ。 ミズハ チカクノ イドデ クム。
     コメハ トキドキ モヨリノ ノウカト ブツブツコウカンシテ テニ イレテイル」

( ^ω^)「んん、じゃあ新鮮な魚とかは食べないのかお」

( ゚∋゚)「ホトンド ダナ。 カッタ トウジツ ショクタクニ ナラブダケダ」

( ^ω^)「勿体ない。人生の大半を損してるお」

ツンも無言で頷いている。閉じ籠っていようとも、食べ頃を捉えた味の魔力には勝てぬのであろう。

22 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:40:46.98 ID:SRX7PgZQ0
( ^ω^)「そうだお。だったら、もっと町に行く頻度を増やせばいいじゃないかお。
      ツンを連れて行けばお守もできて安心だお」

巧みな提案だと自分でも思った。とにかくツンを家の外に出さないことには始まらない。
この屋敷で殺してしまっては容疑者は内藤一人に限られてしまう。
たとえ逃げたとしても名前と職業が割れている以上、いずれクックルは自分の元に辿り着くに違いない。

(;^ω^)(クックルごと始末するという方法もあるにはあるけど……)

その策には砂塵ほどの勝ち目も見当たらぬ。

( ^ω^)「どうかお?」

( ゚∋゚)「……」

クックルは口を閉ざしている。代わりにツンが内藤の隣席にまで来て座り、横槍を入れた。

ξ゚听)ξ「いやよ。だってめんどくさいもの」

内藤はツンのほうへと向き直す。
腰掛けたツンの足は床にまで届いていない。ぶらぶらと振り子のように揺れている。

23 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:45:22.35 ID:SRX7PgZQ0
( ^ω^)「なぜだお? 偶には町に出たほうが楽しいし、気分も晴れるお」

ξ゚听)ξ「いいわよ、別に」

やんわりと断られる。ここまでは想定内である。

( ^ω^)「本当にそう思ってるのかお? 強がりだったら疲れるだけだからやめたほうがいいお。
      繁華街は活気があっていいとこだお」

ξ--)ξ「活気って、人がたくさんいるってことでしょ? それって、そんなに楽しそうに思えないけど」

ツンは耳朶を触りながら呟いた。さして好奇心を擽られてない様子である。
クックルは二人の掛け合いを、只管打坐する禅僧のようにただただ黙って見守っている。

( ^ω^)「いやいや、これがまた心躍る楽しみがいろいろあるんだお。
      ツンは行ったことがないから知らないだけだお。勿体ない勿体ない」

ξ゚听)ξ「むっ、聞き捨てならないわね」

少女は膨れっ面をした。挑発に乗りやすい性質らしい。こうなるとこちらの思う壺である。

( ^ω^)(単純な奴だお)

それから、自分と同じだな――とも思った。

25 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:49:25.46 ID:SRX7PgZQ0
( ^ω^)「あ、僕の友達も紹介するお。
      皆いい人ばかりで、その中の一人にドクオって奴がいるんだけど、
      こいつが物凄い金持ちで硝子で出来た風鐸を持ってるんだお」

散々自慢されたので忘れようがない。

( ^ω^)「なんでも『風琴』っていうらしくて、風が吹くたびに綺麗な音が鳴って、心がほっとするお」

内藤はその音の素晴らしさ、涼やかさを伝えようとしたが、
如何なる賛辞句を有りっ丈並べ立てても実物には露ほども及びそうになかった。

( ^ω^)「ドクオの家で風琴の音を聴いた後は、大通りで軽業師の曲芸を見に行くお。
      寄席小屋で噺家の落語を一席拝聴するのもいいお。
      そこからちょっと西に移動して、住職の目をすり抜けてこっそり寺の鐘を突きに行くのも面白いお!
      あそこの住職、『時刻が狂うだろうが! 戯け者が!』ってすぐ怒るから、中々やりがいがあるんだお」

ξ゚听)ξ「へぇ――」

少し興味が出てきたらしい。こちらの語りに夢中で耳を傾けている。
虚偽を述べることには酷く抵抗があるが、前向きな話をありのまま伝えるだけなら、内藤は得手である。
内藤は備富を愛している。備富の町を歩き尽くしている。だから、幾らでも備富の魅力を列挙することができる。

そして内藤は最終手段を持ち出す。

26 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:53:06.24 ID:SRX7PgZQ0
( ^ω^)「そうだ、それに、ツンが好きな羊羹もよく冷えたまま食べられるお。
      町の中央にびっくりするくらい冷たい水が汲める井戸があって、評判なんだお。
      その水で冷やして食べると旨いお。なんなら甘い黒蜜のかかった葛餅も合わせて奢るお」

ξ;゚听)ξ「……むう」

ツンは暫しの間悩む。甘露の誘惑と戦っているらしい。

ξ゚听)ξ「……ないとーは、町のことが好きなのね」

( ^ω^)「そうだお。この町はいいところばかりだお。だから……ツンも一緒に行こうお。
      ……ああ、クックルが今凄い勢いで目を光らせてるから、勿論クックルも一緒に、だけど」

ξ゚听)ξ「うん、だけど……」

歯切れが悪い。またツンは思い悩む。
そこでふと幼い少女の顔に浮かんだ、色艶はないが儚げで愛おしい表情に、内藤は一瞬、心が惑いそうになる。
しかしやがて、吹っ切ったようにツンが叫んだ。

ξ><)ξ「ううん……でも……とにかく! めんどくさいの!」

それきり応えない。ツンは目線を逸らして、二つ括りにした髪の毛先を爪で捩じった。
癖なのか。はたまた――何か言えぬ訳があることをはぐらかしているのか。

27 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:55:28.82 ID:SRX7PgZQ0
( ^ω^)(そういえば――)

内藤は一人思惟に入る。

(;^ω^)(そういえば、なんで)

ツンが世間で警戒心の強い人間不信の娘だと噂されていたのは、
単に屋敷に籠っているから本人の与り知らぬところで勝手な憶測が出回っていたからだと判明した。

しかしそこで結論付けてしまっていたがために、その先にある肝心なことを内藤は失念していた。

なぜ外に出ないのか。
なぜそうまでして否定するのか。

(;^ω^)(なんで今になって気づくんだお……どんだけ自分は鈍いんだお)

朝は軽い散歩のために多少出歩くと耳にしたから、皮膚が生まれつき陽の光に弱いという訳ではなかろう。
鬱屈としているふうでもない。
極度の出不精なのかも知れぬ。
人前に出ることの羞恥に耐えられぬくらいに細やかな神経をしているのかも知れぬ。

明瞭でない。靄がかかっている。

29 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/10(土) 23:58:24.57 ID:SRX7PgZQ0
内藤は親指を顎に当てる。訊くべきか。いや――。

それはまずい。
決して触れてはならぬ聖域なのかも分からない。

不用意に禁句を口にしようものなら、
己に心を寄せさせるために今の今まで行ってきた交遊は、完全にその意義を失ってしまう。

( ^ω^)「まあ、何か……答えられない事情がありそうだからこれ以上は詮索しないお。
      個人的なことにまで商人が干渉するのも無礼だろうし」

内藤は誤魔化すように、急須に類似した、風変わりな柄が描かれた茶瓶を掴んで茶を注いだ。
湯気が全く立っていない。もう冷めきったらしい。

( ^ω^)「そうだお、そんなことより」

話題を変える。ツンの注目が再び内藤に戻る。

( ^ω^)「裏でいろんな植物を育ててるそうだけど、ちょっと見させてもらえないかお?
      どのくらい薬草を栽培しているのか前から関心があったんだお。
      どんな野菜があるのかも気になるし。いや勿論、食べさせてくれってわけじゃないお」

内藤は手振りを交えつつ愛想よく尋ねた。

30 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:01:57.16 ID:vbTufulz0
しかし。

( ゚∋゚)「ソレハ ムリダ」

クックルの重低音が合間を縫って轟いた。
落ち着いた声であったが、強烈な拒絶感を示しているように――内藤には聴こえた。

(;^ω^)「なっ、なんでだお。
      僕だって幾つかの品種を庭に植えてるから、何か助言できることもあるかも知れないお?」

( ゚∋゚)「ダカラ ナンドモ イウガ ムリダ」

毅然とした口振りである。

( ゚∋゚)「ダンナガ コノ イエニ ユイイツ ノコシテ クレタ モノダカラ ヨソモノハ イレタクナイ」

( ^ω^)「そう……かお」

ただ、根拠がそれでは理不尽にも感じられる。

( ^ω^)(ツンの父親が残した、という点が重要なのかお……)

どうにも気に掛かるが、そこまで首を突っ込むとなると、然りながら神経を逆撫でしてしまいかねない。
錯綜した問題の可能性がある。
ツンの両親が現在どこにいるかは、今の時点で問うことではなかろう。

31 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:04:56.83 ID:vbTufulz0
内藤はそこで踏み止まらざるを得なかった。
そうしてなんとなく俯く。クックルと視線を交差させていることが、やたらと息苦しく感じて仕方がない。
蛇に睨まれた蛙の心境である。

どうもこの頃、内藤は刺すような眼光に悩まされている。

伏し目でツンを見る。ツンは――何ら変貌のない、無垢な顔つきをしていた。

ξ゚听)ξ「……へえ、そうだったんだ」

クックルが窪まった眼窩に頑固さを宿らせているところに、ツンの初な感想が飛び出た。

ξ゚听)ξ「私はてっきり、単純にないとーが泥棒しそうだからだと思ってたわ。
      ほら、ないとーって、薬を売ってるんでしょ?
      ひょっとしたら、一番最初に私が疑ってたのがやっぱり当たってて、
      薬になる植物を盗るためにうちに来てるかも知れないんだし、危険よね」

(;^ω^)「だから、んなわけないって。大体こんなデカブツの目の前で窃盗とか自殺行為だお」

ξ゚听)ξ「あら、そう。うーん……それもそうね」

ツンは無邪気に笑っている。相も変わらずの春風駘蕩ぶりである。
当の本人は些細な冗談のつもりで言ったのだろうが、内藤はその発言に頬を引き攣らせていた。

この屋敷に通う目的が、そんな他愛もないものだったなら――どれだけ安楽だったことか。

32 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:08:16.60 ID:vbTufulz0
( ゚∋゚)「……クスリヤ」

( ^ω^)「おっ?」

( ゚∋゚)「キョウハ ヤケニ ヨク シャベルナ。 ドウシタ?」

(;^ω^)「ッ……」

応答に詰まる。
言われてみれば、成程今日の内藤は功を焦ってか、いつもより口を動かし過ぎている。
幾らか違和を感じさせたかも分からない。

良い返しを探り当てられぬ内藤に救いの船を出したのは――ツンだった。

ξ゚听)ξ「そうよ、今分かったわ! クックル、私、分かったわよ」

ツンは手をぽんと打った。それから喜悦満面に内藤を指差して、

ξ゚ー゚)ξ「あれでしょ。私がかわいいから、一緒に町を歩きたいって、ないとーは思ったんでしょ!
      残念ね、そんなの、私は断るに決まってるじゃない。全く、ないとーにはやれやれだわ」

(;^ω^)「……はあああ?」

寝言か――。

33 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:10:52.18 ID:vbTufulz0
ξ゚听)ξ「何よその顔」

( ^ω^)「いや……急に意味の分からない世迷言を言い出したものだから、
      奇病でも発症したのかと思ってどの薬をお出しすればいいか考えてたんだお。
      いやあしかし職業病とは怖いものだお」

ξ#゚听)ξ「何それ、酷い言い草ね!」

今度は腰に手を当てて、右側の頬を膨らませ睨む。
表情がころころ移り変わる。
つい先程まで漂わせていた陽炎のようにあえかな雰囲気は、どこに霧散してしまったのか。

ξ゚听)ξ「乙女の心が傷ついたわ。罰として、次に来る時はおやつを持ってくること! いいわね!」

ツンが得意気に、人差し指をぴんと伸ばして告げた。
だが内藤は聞き入れない。
いや、聞き入れられぬのだ。直前のクックルの文言が、内藤の頭の内側で連綿と渦巻いている。

(;^ω^)(いかんいかん、ちょっと積極的にいきすぎたお……もっと慎重にならないと駄目だお)

内藤は、胸裏で人知れず反省した。

ξ;゚听)ξ「……ちょっと、聞いてる? 反応がないと私も寂しいんだけど……」

ツンは余りの手応えのなさに肩透かしを喰らっていた。
一言だけ残した黒の用心棒は、また口を噤むことに徹している。

34 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:14:35.05 ID:vbTufulz0



丁度、その帰りである。

とっくに辺りには夜の帳が下り、沿道の草叢では首螽斯が伸びのある声で鳴いていた。
いつもよりもツンの屋敷に長座していたせいで、
酉ノ刻を過ぎてからも常備薬の手配に町中を駆け回っていたものだから、すっかり帰宅が遅くなった。

内藤の家はツン同様歓楽街からは離れている。
住宅地を通り凸凹とした起伏のある道を直進した先にあるのが、内藤が暮らす古屋敷である。

途中、川がある。傍流だから、川幅も水量も乏しく、蚊が湧いているだけである。
内藤は夏場この河川に掛かる橋を渡る時は、いつも早足で通り過ぎる。

( ^ω^)「おっ?」

川面に蜻蛉がいた。二匹が円を描きながら低空を飛んでいる。

( ^ω^)「ありゃあ……つがいかお」

今宵は月が一際映える。街の華やかな灯りがなくとも、田舎道は月の幽かな明かりで磨かれている。
水面鏡に反射した月光に照らされて、薄羽蜻蛉は付かず離れず、ただ踊っているように見えた。

そして二匹は舞い上がると、どこまでもどこまでも――高々と飛翔していった。

36 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:16:39.13 ID:vbTufulz0
内藤は、一膳飯屋で豆腐の木の芽田楽を買ってから家路に就いていた。

(*^ω^)「これがまた絶品なんだお。特に味噌の香味が……やべ涎出てきたお」

こいつを肴に本日来宅するギコと一杯やろうという魂胆だ。
酒は人間関係の潤滑油である。美禄が入れば本音が聞き出せるかも知れぬ。

(;^ω^)(浅ましいやり方ではあるけど)

ただ、何の損得勘定もなく、純粋にギコと盃を酌み交わすのも、それはそれで悪くない。

( ^ω^)「ん?」

遠くに人影が見えた。目は大分夜の闇に順応している。
体格からして男だろう。
よろよろと、今にも転びそうな覚束ない足取りで夜道を徘徊している。
時折立ち止まりけけえと奇声を発する。怪鳥の鳴き声に似ている。そしてまたうろうろと歩く。

不穏である。内藤はなんとなく薄気味悪さを覚える。

(;^ω^)(やべぇ、関わっちゃ駄目な種類の人だお。目を合わさないでさっさとやり過ごすお)

そう思い、下を向き急ぎ足ですれ違おうとした刹那である。
内藤は男に肩を掴まれた。

38 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:20:32.11 ID:vbTufulz0
( ゚д゚ )「あんた……このあたりの人間か」

(;^ω^)「そ、そうだお」

いきなり絡まれた内藤は困惑する。何が何やらさっぱり分からぬ。
男はぼそぼそと聞きとり辛い調子で問い掛ける。

( ゚д゚ )「蟲が……この辺は蟲がたくさん跋扈する場所なのか?」

(;^ω^)「い、いや、そんなもの、大していませんお」

草むした道端に数匹いることはいるが、大量に群生しているという具合でもない。

( ゚д゚ )「嘘を吐くなよ。酷いんだ……いろんなところに気味悪い蟲がいるんだ。俺は奴らを啄む鳥なんだ。
    鳥は飛ばなきゃならないのに、俺は地を這ってる。最悪だ。吐き気がするんだ……」

見知らぬ男は内藤に構わず囈言を繰り続けると、突然鼓膜を劈かんばかりに叫びながら頭髪を掻き毟った。
内藤は熱帯夜だというのに薄ら寒くなる。

(;゚д゚ )「はあ……はあ……おい、見てみろよ」

男は、内藤の背後を指差した。

39 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:22:34.92 ID:vbTufulz0
( ゚д゚ )「あんたの後ろにもいるじゃないか……とんでもないでかさだ、こいつは俺じゃないと食えない」

(;^ω^)「ふえっ?」

内藤は後ろを振り返った。意識の外での行動だった。
しかしながらそこには何も存在していない。ただ射干玉の闇が際限なく広がっているだけである。

(;^ω^)「お、驚かせないでほしいお。心臓飛び出るかと思ったお」

( ゚д゚ )「いや、いるんだ……あんたの腕にも、足にも、顔にも……うじゃうじゃ湧いてやがる!」

語気が荒くなる。男は肩で息をしている。犬が喘ぐような呼気である。
内藤は咄嗟に擦り足で一歩後退りしたが、男も一歩、じりじりと詰め寄るように前に出た。

( ゚д゚ )「俺が食わなければいけないんだ。俺が――」

目が虚ろである。呂律が回っていない。言動も不安定ときている。気違いとしか言い表しようがない。

(;^ω^)(な、何なんだお、こいつ……)

この男は内藤を見ているのか。
内藤の真後ろにある得体の知れぬ何かを見ているのか。
それとも――何も視えていないのか。

41 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:27:17.73 ID:vbTufulz0
――寸秒の出来事である。
前触れもなく、どすん、と肉塊を貫くような鈍い音が起こった。

(;゚д゚ )「う――」

途端、ごく短い呻き声を漏らして、夢遊病患者じみた男は前のめりに倒れた。

「……これだから酔っ払いは嫌いなのだ。
 自分の目に映っている世界が全てだと勘違いしていやがる。己の幻想に過ぎぬというのに」

過去に聞いた語り口である。

事態を呑み込みつつ内藤は声の元に視線を送ると、

(,,-Д゚)「内藤よ、遅かったではないか」

男の身体の蔭になっていたあたりに、吊り行燈を片手に提げたギコが呆れ果てた顔で立っていた。

刀の柄がこちらを向いている。
ギコは柄ではなく、刀室を握っていた。
おそらく柄の先端で男の背中を突き刺したのであろう。

42 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:30:47.95 ID:vbTufulz0
(;^ω^)「た、助かったお……」

内藤は急に全身の筋が緩んだ。胸を撫で下ろし、ギコと向かい合う。
以前にあった時よりも痩せたように見える。

( ^ω^)「どうしてここに」

(,,゚Д゚)「推参したが留守だったのでな、一旦引き返し道中出くわしたところで合流しようと思ったのだ。
    したらば貴殿は訳の分からぬ瓢箪鯰に付き纏われていたではないか。気を揉んだぞ」

( ^ω^)「すまんお、ちょっと仕事が長引いちゃって……それより」

内藤は足元に転がる男を見下ろした。

(;^ω^)「その……この人は大丈夫なのかお」

心配になる。狂人とはいえ、やはり目の前で死なれると後生が悪い。

(,,゚Д゚)「なんのなんの、これしきで人が死ぬことはない
    人体急所は表裏一直線上にある。即ち、眉間・顎・喉頭・頸椎・水月・脊椎・肝臓・膀胱・金的。
    そこさえ把握しておき手加減して突けばこの有様よ」

ギコは鞘先で地に伏した不審者を指し示した。
口の両端に泡が溜まっている。男が気絶していることは無謬だ。
四肢はだらしなく放り出され、一定の周期でぴくりぴくりと痙攣し路面に打ち据えられた蛙のようである。

43 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:34:19.35 ID:vbTufulz0
だが呼吸はある。
ぼんやり開いた唇の隙間から、今にも途絶えてしまいそうではあるのだが、弱々しく空気が零れ出ている。
事切れてはおらぬ。内藤はその正確無比な技量に感服する。

(;^ω^)「うはあ、すげえお」

(,,゚Д゚)「基礎の基礎よ」

事も無げに言った。

(,,゚Д゚)「刀を抜かずとも、この手合いの素人など一撃で熨せるわ。自慢にもならん」

( ^ω^)「けど内臓の位置まで的確に捉えてるのは凄いお。
      外からはどこにどの臓器があるかなんて判らないじゃないかお、どうやってるんだお?」

ギコは存外そうな顔をする。和紙越しの間接光が少し上を向き、内藤の面を朧に照らす。

(,,゚Д゚)「なんだ、貴殿は『ターヘルアナトミア』も知らぬか」

( ^ω^)「たーへる……・? ああ、『解體新書』のことかお。僕は医学書は専門外なもんで……」

ドクオほどの本の虫ならともかく、学術書などはその分野毎に精通した者でなければ、まず読むことはない。
内藤にしても薬餌療法に関する書物にしか目を通さない。

45 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:37:48.86 ID:vbTufulz0
( ^ω^)「武士のギコさんには、あんまり関連がなさそうに思えるけど」

(,,゚Д゚)「悪いか? 役に立つならば、如何なものであろうと吸収するのが、俺の主義だ。
    人体を熟知することは正鵠を射ることに通ずる――比喩ではなく、そのままの意味でな」

そんなことより、とギコは繋ぐ。

(,,゚Д゚)「速やかに貴殿の屋敷に戻るぞ。貴殿から聞くことが仰山あるゆえ」

先頭を切って侍は歩み始めた。行燈の灯を目印にしながら、内藤もその背中を追った。

(,,゚Д゚)「それにしても酔っ払いというのは悪質だのう。
    嗜む程度なら許すが、周囲に迷惑をかけるほど泥酔する連中はまっこと阿呆なこと甚だしい。
    俺は一切飲まないから、彼奴らの感覚というものは解せぬが」

( ^ω^)「えっ、ギコさんは飲酒しないのかお」

(,,゚Д゚)「酒は気違い水とも言うだろう。俺はそんなものは怖くて飲めぬよ」

着流しの袖を伸ばしながらギコは答えた。

(;^ω^)(田楽……無駄になっちゃったお)

となると、また今夜も自分はまともに味わわれることのない煎茶を淹れる段取りになるのだろう。
そう考えると内藤は気が滅入った。

46 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:42:05.63 ID:vbTufulz0
移動中、他にこれといった会話はなかった。

屋敷に着くなり、内藤は地火炉に炭を焼べ火を起こした。
平素の暮らしでは薪を使うのだが、客人が来た時は煙が少なく長持ちする炒炭を使う。
赤々と燃える。それから自在鉤に薬缶を吊るし、湯を沸かす。

(,,゚Д゚)「いや、灯りはこの火だけで十分だ」

火皿に油を注ごうとする内藤を、ギコが制した。

( ^ω^)「そうかお?」

(,,゚Д゚)「今宵はこれでよい」

言ってから、ギコは囲炉裏の傍で大儀そうに胡坐をかいた。
薬缶の口から蒸気が噴いている。沸騰したらしい。急ぎ鉤から外し、茶葉を入れた急須に移して茶を淹れる。
内藤は舐める程度に飲む。やはり熱い茶は旨い。

(,,゚Д゚)「さて――それでは、どの程度まで進展したかを聞こうか」

足を組み替えながらギコは申し出た。
途端に緊迫感が座敷を満たす。

近頃は夜を迎えてもちっとも涼しくない。ギコが来た際は窓を半分弱しか開けないから、余計に暑い。

47 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:45:43.65 ID:vbTufulz0
( ^ω^)「……了解したお」

内藤は、この三週の間に起きた出来事、起こした行動、二人の和蘭人からどれだけの信用を得たか、
それに対する自分の見解など――出来る限り脚色を廃して、一から十までギコに伝えた。

( ^ω^)「――とまあ、こんなところだお」

今後の展望を話し終えたところで結んだ。変に達成感があった。

(,,-Д-)「そうか……」

ギコは瞼を閉じて何度か小さく頷く。そして、

(,,゚Д゚)「内藤よ」

かっと開かれた双眸が妖しく光る。

(,,゚Д゚)「貴殿は、あの女との交流を随分と愉快そうに語るのだな」

そんなふうな口調だっただろうか――内藤は口元に手を当てて顧みる。
思い当たる節はない。無意識だったのか。

(;^ω^)「……他意はないお」

それ以外の返答は見つからなかった。

48 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:49:49.55 ID:vbTufulz0
(,,゚Д゚)「ふん」

ギコは湯呑みを手に取り、一口だけすする。そして例によって眉間に皺が寄る。

(,,゚Д゚)「それにしても貴殿の家で飲む茶は不味いな。ぬるくて味がぼやけておる」

(;^ω^)(あんたが手をつけるのが遅いだけじゃないかお)

これだから厭なのだ。内藤は反発の意味も込めてか、自分の器を空にした。
長い沈黙がゆるゆると流れる。ギコは思索に耽っている。

( ^ω^)「……」

内藤も押し黙っていた。
動機を尋問しようかとも考えていたのだが、結局口にしなかった。

それに内藤は――ギコと合流してからの帰り道で、自分なりに目星を付けていた。

鍵となったのはかつてのギコの科白である。

『金になる汚れ仕事はいくらでもある』

つまり此度の件は、ギコの私怨ではなく、何者かの依頼によるものではないか――。
内藤はそう推理する。

49 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:53:00.09 ID:vbTufulz0
では何が目的か。これも内藤は予測を立ててある。

切支丹狩りだ。

察するに、ツンの両親は身分を偽りつつも、実のところは耶蘇教の宣教師として来日したのであろう。
これならばツンを置いて出て行った理由もつく。宣教師は一定の土地には住み着かぬ。
幼い娘を残したのは、布教の旅に出ている間に発見され、投獄される危険性を孕んでいたからだろう。
ツンが外に出ない訳も、燻り出されてはならぬ、と言い付けをされたからかも知れない。

( ^ω^)(いや……もう捕まってしまったのかもしれないお)

でなければ、一度くらいは自宅に帰ってきてもいいはずだろう。
愛娘の顔を見たがるのが普通の親心だ。

( ^ω^)(二人は処分されて、これで、残すはツンのみとなった)

そうして今になって、ツンの居場所が依頼主の元に報告された。ツンもまた切支丹である。

(;^ω^)(……)

整合性があるように思う。思うのだが、内藤は堪らなく悲しい気分になる。
ツンに罪はない――。

(;^ω^)(ただ、切支丹というだけで殺されるのだとしたら……)

もしもこの考察が当たっていたとしたら――その時自分は、ツンを殺せるだろうか?

50 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 00:57:46.65 ID:vbTufulz0
仇を討ってもらっているとはいえ、形式上はギコの金稼ぎに利用されているだけではないか。
内藤は葛藤する。酷く気が重い。
涙さえ零しそうになる。

(  ω )(そんなの……残酷すぎるお……自分に出来るのかお……)

内藤は目頭を軽く抑えた。

情が移らぬよう注意してきた。専心し続けてきた。
けれども、自分の仮定通りだったとしたら、殺害理由が当たっていたとすれば、その場合は――。


内藤には――自信がない。


(;うω^)(……くっ……)

なんとか堪える。今はすぐ近くにギコがいるのだ。あまり痛々しい面をしていては怪しまれてしまう。
意志が揺らいでいることを悟られてはならぬ。
気持ちを保って胸を張ろうとする。だが、どうやっても背が丸まってしまう。

(;^ω^)(アホかお……あくまでも勝手な仮説じゃないかお……何本気になってんだお……。
      その先……そのもうちょっと先のことを考えるお……)

そうしたほうが気も紛れる。

51 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:05:22.17 ID:vbTufulz0
潜伏切支丹の討伐となると、依頼主は何処かの藩の権力者であろう。
それも余程耶蘇教徒に恨みのある人物に違いない。布教活動を行っていないツンさえも殺すというのだから。

禁教令では信徒拡大目的でなければ切支丹の移住は認可されている。
本来は手出しできない。
暗殺しかない。
そうした仄暗い仕事を任せるとすれば――流浪の身であるギコが適任である。

そしてギコは今度は内藤を使役するために、交換殺人を思いついた。

殺人依頼の連鎖。

( ^ω^)(ありうる話だお)

ただそれでは、ギコが「殺してもらいたい女がいる」と内藤に告白した時に放たれていた、
あのどす黒い憎悪の感情の説明がつかない。
瞳の奥で燃え上がる、烈火の如き激情であった。嘘は見当たらぬ。

( ^ω^)(もしかしたら……)

ギコ自身も切支丹に恨みがあるのかも知れない。
そうなると今度はギコの過去の話になる。内藤はそこにまで思考が働くほど聡明ではない。

それゆえに半端ではあるがここで考え事を止める。
第一、実際に質問はしないのだ。
当たりだろうと外れだろうと、いずれにせよギコの機嫌を損ねるだけである。それは喜ばしいことではない。

53 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:08:21.15 ID:vbTufulz0
ギコも真相を語らないでいる。
ツンとクックルの背景にあるものも、現実にはどうであるかは判明しておらぬ。

この舞台に上がる登場人物は、全員が、何かしらの秘密を自分の胸の奥底に隠しているのだ。

(,,゚Д゚)「――ところで内藤よ」

不意にギコがその口を開いた。

(,,゚Д゚)「少々構わぬか?」

内藤の眼の球を凝視する。条理の解らぬ緊張が、内藤の曲がった背筋をぴんと伸ばさせる。

(;^ω^)「な、なんだお?」

(,,゚Д゚)「ちょいとばかし、貴殿の父君の形見である刀を見せてもらいたいのだが」

藪から棒である。内藤は目を丸くする。

( ^ω^)「へっ? どうしてだお?」

(,,゚Д゚)「いいから、とにかく持ってきてほしい。話はそれからしよう」

54 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:12:58.33 ID:vbTufulz0
( ^ω^)「はあ……」

内藤は言われるがままに居間の押し入れに向かい、父の打刀を封じてある桐箱を奥から取り出した。
蓋を開ける。埃の臭いを撒き散らしながら、漆塗の鞘に納まった打刀と脇差が姿を現した。
久方ぶりに父の置き土産を目にした。感慨深いものがある。

( ^ω^)「これ、だお」

(,,゚Д゚)「ほう」

ギコは鞘に巻かれた茗荷結びの下緒を引っ張り上げて、手首を返しながら繁々と観察する。

(,,゚Д゚)「随分質素な拵だな。質実剛健といったところか……」

( ^ω^)「あの……」

口を挟む。

( ^ω^)「それ……なんのために」

(,,゚Д゚)「ああ」

ギコは刀を脇に置いてから続ける。

55 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:16:04.68 ID:vbTufulz0
(,,゚Д゚)「これを少々預からせていただきたい。刀工の元に手入れをさせに持っていこうと思っておる。
    明日か明後日にでもまた貴殿の屋敷を訪れて、その際に返還しよう」

( ^ω^)「刀の……手入れ? どうしてそんなことを?」

この日本刀は父が脱藩してから一度も抜かれていない。既に御役御免の状態だった。
需要がないからである。
剣術ではなく足と舌で日銭を稼ぐ商売を親子代々続けている。

(,,゚Д゚)「貴殿が今し方話した中にあっただろう。
    まずは用心棒の監視から逃れて、ツンを外に連れ出さなければならない――と」

( ^ω^)「はあ、確かに言ったけど」

(,,゚Д゚)「だがそれでは女を殺した後が難儀になる。
    下手すれば、奴が貴殿の邸宅に襲撃してくるかも分からん。
    自分の身は自分で護れるようにしておかねばならぬぞ」

ギコは歯を覗かせた。嘲弄しているかのようである。

(;^ω^)「ちょっ、よしてくれお……。どう足掻いても無謀だお。
      僕に剣の心得なんてないのは知っての通りじゃないかお」

56 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:20:21.19 ID:vbTufulz0
(,,゚Д゚)「まあ、八割方は冗談だ。出来得る限り貴殿が助かる方法を考えておくが……」

ギコは顎を天井に向けて首を回した。ごきごきと間接の鳴る音がする。

(,,゚Д゚)「どのみち今の貴殿には護身のために刀が必要だ。あって困るものではない」

( ^ω^)「ううん……じゃあ、お願いするお」

内藤は承諾した。
絶対に戦えというなら別だが、念には念を押すということで刀の修繕を頼むだけなら易いものだろう。

囲炉裏の炎がかなり弱まっている。
十能で炭を混ぜたり、追加したりしなかったから、熱が失われるのも早かったらしい。
互いの顔が見え辛くなる。

(,,゚Д゚)「ではな。また後日参上する」

内藤家の刀を己の物とは反対側の腰に差し、玄関に置いた行燈を拾い上げてギコは帰っていった。

( ^ω^)「刀……刀かお……」

内藤は嫌でも想い描いてしまう。
筋が浮き出た細いツンの頸を、自らの手で刎ねている光景を。

57 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:22:51.68 ID:vbTufulz0



ギコは真の闇より無闇が怖い。

黒洞々たる暗闇は確かに不気味ではあるが、暗がりに紛れているものは粗方想像がつく。
しかしながら後先考えぬ輩は、己が全く予測できないことを仕出かすかも知れない。
だから、怖い。視えないものは推せばいい。だが、端緒すら読めないものには対処のしようがない。

(,,゚Д゚)(月が……見事だな)

兵法において、奇襲を掛ける際は満月の夜を避けるのが常道だという。
真理である。このような明るい夜に敵を攻め討つなど、愚将凡将のやることであろう。

ならば真っ暗な闇に溶け込んでしまうほうが相応しい。

ギコは夜を掻き分けていく。

歩くうちに、妙な感覚に襲われる。
それもそのはずで、両腰に刀を差している。一本は己の愛刀であり、もう一本は内藤から借り受けたものだ。

(,,゚Д゚)「ふん、天下随一の剣豪気取りか」

ギコは自嘲気味に笑う。

58 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:26:10.82 ID:vbTufulz0
(,,゚Д゚)「どうせ気取っているならば、このまま真似で済ませるのも惜しいな」

予め鯉口を切ってから、慣れた手つきで素早く抜刀する。刃金が鞘を駆ける音が夜の静寂を裂く。
ギコは――嘆息した。

(,,゚Д゚)「……ほう」

一点の曇りもない、玉を散らしたような美麗極まりない抜き身。
銀の玉鋼に冴え冴えしい月明かりが宿る。棟から鋒に至るまで、神秘的な輝きが疾走する。
それは、水の流れを想起させた。
見惚れるほどの清冽さである。

(,,゚Д゚)(美しい)

ギコは暫時、この煌く刀に心奪われていた。

(,,-Д゚)「む、しかし――」

目釘が緩んでいる。軽く振るだけで刀身がぶれ、すっぽ抜けそうになる。
重ねて言及すれば、外気に長らく触れていなかったから光輝は保たれているのだが、刃の研ぎは幾分甘い。
実戦には持ち出せぬ。

(,,゚Д゚)「このままではやはり使い物にならんな」

鞘に納める。そして歩行を再開する。

60 名前: ◆zS3MCsRvy2 :2010/07/11(日) 01:30:20.11 ID:vbTufulz0
何気なく、天を見上げた。

星が一面に瞬いている。
各々が不規則に明滅を繰り返し、墨を流したが如く黒々しい闇が広がる穹窿を、煌びやかに彩る。
砂金を撒いたような空である。今宵は雲が出ていない。

(,,゚Д゚)「これは中々」

壮麗だ。柄にもなくそう感じた。

満点の星空を仰ぎながら、ギコは取り留めもなく内藤のことを考える。

(,,゚Д゚)(あやつは……誠に不思議な男よ)

あの男は太陽だ。分け隔てなく相手方の人間を照らす。
ギコに対しても例外ではない。
ツンが内藤に心を許しつつあるのも、あの底抜けに朗らかな人柄をもってすれば論を待つまでもないことなのだろう。

当の両人は意識などしていないかも知れぬ。
しかし娘の慎ましい芽は、闊達な光を浴びて双葉にならんとしている。

それだけにギコは警戒を強める。
太陽の日差しを受けた者は、必ずその裏に影を作る。

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